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非公開非公開の自分史は、他の人からは見えません。

きんやさんが最近登録した自分史(更新順)

  • 明徳義塾の蛍祭(ほたるまつり)(1986年7月11日|13歳)

    明徳義塾には蛍祭というお祭りがあります。

    まぁ要は文化祭のようなものですが、先生方が模擬店といって屋台みたいなものを出店したり生徒が出し物したりする訳ですが、私はちゃっかりステージで「君は1000%」歌ったりしましたねwww。

    何せ声変わりしてませんから、それはそれはキュートだったのではないでしょうか?!

    それがきっかけで、カラオケの虜になったのだと思います(笑)。



    更新日:2011年5月31日コメントする(0)

  • 震災の悪夢がよみがえる(2011年3月11日|38歳)

    東日本大震災が発生した。

    仙台の知人の息子さんを実習生としてお預かりしていたので他人事とは思えず、阪神大震災の恐怖を鮮明に思い出しました。

    不幸中の幸いで知人のご家族や仲間の方々は無事とのことで胸をなでおろしましたが、多くの方が犠牲になり複雑な想いがしました。

    更新日:2011年5月10日コメントする(0)

  • 海で死にかける(2008年5月20日|35歳)

    高校時代の友人ら8名で西宮から淡路島へクルージングに出かけた時の話です。

    1時間ほどで淡路島に到着し、ホテルでランチバイキングを堪能したわけですが、帰りになると何だか雲行きが怪しくなり・・・。

    慌てて出港したものの、10分もしない内に海は大荒れに!!

    普段は冷静沈着な友達が、全員にライフジャケットを配りだした時にことの重大さに気付きました!!

    小さな船が何度も大きな波の間でもまれ、誰もがこれはヤバいと感じた頃、運転していた友達が「引き返す!!」と舵をきり、一路、淡路島へUターン。

    ところが・・・。

    追い風で出港したので、15分かけて進んだ道が、行けども行けども前進できず、ますます海は荒れる。


    そして、とうとうその時が!!

    その日、もっとも大きな波が僕らの船に覆いかぶさるようにやってきたのです!!

    船は船首から海へ・・・。


    「もう駄目や!」


    誰もがそう思いましたが、船はそう簡単に沈まないものですね・・・。

    一度飲み込まれた船は、再び海面に浮かび上がり、そのまま進んでいきました。


    何とか港まで辿りついた瞬間、全員、ずぶ濡れになりながら、涙を流し、肩を抱き合ったのは言うまでもありません。


    何度か死にかけたことがありますが、この時ほど、死を覚悟したことはないですねwww。

    今では良い思い出です。

    更新日:2009年2月28日コメントする(2)

  • 小学校 中学年時代(1984年4月|11歳)
    きんや

    この頃は、3才年上の姉とよく遊んでいたのを覚えている。

    姉をいじめる近所の男の子をほうきで殴り骨折させたのもこの頃・・・。

    実は正義の味方だった!

    はずもなく、通知表の評価はまったく上向かない・・・。


    3年生
    「忘れ物をはじめ学校生活の色々な面に気をつけ、けじめをつけて、落ち着いて、実力を発揮してください。」←この評価によると実力を発揮するには多くの壁があるようです。

    小学校3年生の時に書いた「11年後のぼく」という作文が出てきた。

    そこには「プロ野球選手になって名球界入りしている」と書いてある。

    そして最後に、「集まって1パイのんだりして楽しくやるのです。」とある。

    夢はかなうのだとしみじみ思う。


    4年生
    「詩を書くときは次々と多くの詩を表現することができました。」←その時の詩を発見。

    題名 「小学こう」

    やすみじかんはみじかいが
    べんきょうじかんはながすぎる
    みじかくしてほしい べんきょうじかん
    ながくしてほしい やすみじかん

    評価の基準は質より量のようだ。

    更新日:2008年12月4日コメントする(0)

  • 幼稚園最後の通知表(1980年3月|7歳)
    きんや

    幼稚園2年目、私を更生させるために先生の奮闘ぶりがうかがえる。

    1学期
    「自分のおもうようにならないと気に入らないようです。あそびの時間のけじめがつかず、おしゃべりが過ぎ、注意しても反省の色が見られません」

    2学期
    「少し落ち着きがでてきたようです←おっ~!

    3学期
    「小学校へ行ったら遊びと勉強のけじめをはっきりさせてください」←やはりかorz


    ほとんど成長の跡が見えないまま小学校へ。

    更新日:2008年12月4日コメントする(0)

  • 初めての通知表(1979年3月|6歳)
    きんや

    初めての通知表はほろ苦い結果に・・・。

    もちろん字の読めない本人は知る由もなかったが・・・。


    年少の頃の先生のコメント
    1学期
    「じっとしていることなく~お話を静かに聞いて欲しいと思います」

    2学期
    「じっとしているのは無理なようでした」

    3学期
    「いたずらが過ぎる事があります」

    更新日:2008年12月4日コメントする(0)

  • 逆転サヨナラスリーランホームラン(1991年7月|18歳)
    きんや

    甲子園、夏の県予選。

    1回戦の相手は伊野商業。

    明徳中学をやめて伊野商に行った戸田がエースで4番。

    試合は、意外な展開で最終回2アウトランナーなしで、2点差という絶体絶命のピンチを迎えた。

    そして、1番杉山がホームラン。

    2番松下、3番上原がつなぎ、4番の津川が逆転サヨナラスリーランホームランをかっ飛ばした!!

    劇的な幕切れで、めちゃめちゃ感動したのを覚えています。

    写真、上の方から自分が打ったかのようにガッツポーズで走ってきているのがランナーコーチだった私。

    更新日:2008年10月17日コメントする(0)

  • 2,400グラムで小さいながらも元気に生まれる(1973年4月30日|0歳)
    きんや

    大阪府堺市にて誕生しました。

    3人兄弟の末っ子の長男、待ちに待った男の子。

    母親に聞くと、病院で妊娠と診断されたその足で百貨店に行き、青い物を買いそろえたと言うことなので、余程の気合いが込められていたと思います。

    ネットで懐かしい写真を見つけてしまいました!!

    この病院でしょうかwww?

    更新日:2008年10月15日コメントする(0)

  • 松井の5敬遠(1992年8月|19歳)

    母校が甲子園でえらいことをやらかしちゃいました。

    松井選手の5敬遠。

    4番とキャプテンは私の弟子。

    球場にいましたが、あの異様な雰囲気は忘れられないです。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 夏の甲子園 初優勝(2002年8月|29歳)

    母校の明徳義塾が夏の甲子園で初優勝!

    決勝戦見に行きましたが感動しました!

    その後の特集番組で、松井の5敬遠から映像が始まって

    「あれから10年・・・」

    というテロップが入りました。

    思わず

    「11年前どこいってん!」

    と突っ込んでしまいましたwww。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 夢のマイホーム(2002年10月|29歳)

    家の差し押さえから5年。

    会社の隣の土地が売りに出た。

    まだまだ余裕もなかったが、もし手が届くなら「家を取り戻す」というリベンジを成し遂げるチャンスだ!

    住宅ローンがおりた。

    この瞬間、私のリベンジの一つが終わった。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 初めてのマイカー(1999年1月|26歳)

    いつまでも軽トラックという訳にいかなくなった。

    チャイルドシートが義務付けられたからだ。

    人生初のマイカーは中古で買ったトヨタの「イプサム」。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 超ラブリィ(1999年4月12日|26歳)
    きんや

    子供がいつも助けてくれます。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • あーちゃんはいつお家に帰れるの?(1999年4月1日|26歳)
    きんや

    個人商店で立ち上げた会社は2年で軌道にのり、念願の法人化にこぎつけることができた。

    もちろん順風満帆とまでは行かないが、資金不足でお金をかき集めることはなくなった。

    それだけでも十分に心に余裕を持たせてくれたものだ。

    この頃、一番の衝撃は娘の一言でした。

    家の差し押さえ以降、借家住まいをしていたのですが、ある日お店に娘を連れて行ったんです。

    店の隣は差し押さえられた家が建ってるわけなんですが、娘がたたーと走って行って、隣の家をのぞきに行くんです。

    戻ってきた娘の一言。

    「あーちゃんのおうちに知らない人がいるよ。あーちゃんはいつホントのお家に帰れるの?」

    泣きました。。。

    泣きましたよ。。。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 天使2世が・・・(1999年4月12日|26歳)
    きんや

    息子が生まれました。

    命名 悠之介

    広い心でおおらかに育ってほしいと名づけました。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 軽トラック(1997年8月|24歳)

    この頃は自家用車を持っていなかった。

    電気屋の軽トラックで、ひざに娘を乗せ街を走った。

    軽トラックにはエアコンがついてなくて、夏場は汗だくになりながら家族3人で笑ったもんだ。

    それでも十分幸せだったな。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 街金のおっちゃんと大喧嘩(1997年6月|24歳)

    ようやくスタートした商売でしたが、街金さんにしてみたら納得できないことだったと思います。

    パンチパーマに紫のスーツを着た街金のにーちゃんが、度々家にやってきて「お父さん帰ってまっか~?近所ききに回りますよ~。」と嫌がらせ。

    新しい会社にジャンジャン電話がかかってきます。

    そんな時に、ひとりのおっちゃんに罵倒される出来事がありました。

    街金のおっちゃん「お前は共犯や!」

    これには我慢ができません。自分は被害者という意識があったからでしょうね。

    私「なんやと~!!しばくぞ、おっさん!!」

    思わず言ってしまった一言www。

    相手もさるもので、静かなトーンで切り返されて最後はドカーっと・・・。

    街金のおっちゃん「にいちゃん・・・。今なにゆうたんや・・・。もういっぺんゆうてみーーーー!!!!!」

    ビビりました(汗)。

    で、一生懸命伝えたんです。これから人生を立て直していくために頑張ってる話を。

    そしたら、そのおっちゃんが言うんです。

    街金のおっちゃん「にーちゃん、えらいな・・・。よっしゃ、解った。もうお前んとこには電話せーへん。その代り、もしお父さんから連絡あったら教えてくれへんかな?」

    通じるものです。。。

    そして最後に、
    「困ったことあったら何でもいいや。お金やったらいつでも貸すで。」

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 家を差し押さえられる(1997年7月|24歳)

    一番こたえたのは家の差し押さえだった。

    銀行が差し押さえ競売に掛かったわけですが、当の本人がすんでおらず、家族だけが残されたややこしい状態。

    だれも買う人はいないだろうと高をくくっていたのですが甘かった。

    入札した業者がいたのです。

    それは、父親が借りていた街金さん。

    どうやら自分たちが貸し付けた客先が駄目になる情報を利用し、不動産物件の競売を落とすビジネスモデルを展開していたのだ。

    先方の担当者は開口一番、
    「お父さんのこととは一切関係ありませんので。もし買い取れるなら買い取ってください。無理なら速やかに出て行ってもらえませんか?」
    だった。

    住んでいた家を追い出されるのは、本当にきつかった。。。

    この時、いつか取り戻してやると心に誓う。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 商品を仕入れできない(1997年2月|24歳)

    個人商店として新たなスタートを切りましたが、肝心の商品を仕入れさせてもらえません。

    今に思えば当然のことですが、父親の借財を残したまま、息子が独立するからといって、「ハイ、どうぞ」とは行きません。

    仕入れるなら保証人をつけろとの指示もありましたが、父親の債権の一部を営業権として買い取る形で、なんとか仕入れの許可を取り付けました。

    なんとかなるものですね。

    しかし、その後、もっと大変な出来事が・・・。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • リベンジ(1997年1月|24歳)

    いろいろと思い悩んだ結果、個人商店として独立し、父親のリベンジを図ることにしました。

    当り前の事ですが、仕入先メーカーや銀行の対応は厳しいものでした。

    一時期は地域一番と言われたかっこいい父親の背中を見てきた自分にとって、それを取り戻すチャンスはその時しかなかったのです。

    まさにリベンジのスタートでした。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 父の会社が倒産(1996年10月|23歳)

    その頃、「死んでわびる」の手紙を残し出て行った父親は、死ぬことを辞め、身を潜めていた。

    そんな状況で私が戻ったくらいで経営が立て直ることもなく、いよいよ事業継続が困難になり事実上の倒産。

    これからどうやって食って行こうか真剣に悩む日々が続いた。

    そんな折、中堅寿司チェーンの社長から「うちで働きなさい」とお声掛けいただいたり、「一緒にやろうや!」と岐阜のスーパーマーケットチェーンの友人から誘われたりと、本当にありがたいことでした。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 経営スクールに入学(1996年1月|23歳)
    きんや

    なんとか会社が存続している内に経営の勉強をしておきたい。

    そんな思いで、1年間の経営スクールに入学。

    200万円の受講料を支払えず、無理をいって分割で入学することに。

    ここでは、300人を超える社長さまと知り合うことができた。

    そこで学んだことは何物にも代えがたい財産となった。

    このスクール無くして今の自分はないだろうと思う。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 丁稚奉公(1995年11月|22歳)
    きんや

    家業を手伝うといっても電気の知識も技術も持ち合わせていない私は、父親の元を独立した5つの家電店に3か月づつ丁稚奉公に出ることになった。

    思えば、いろいろな事を教わったものだ。

    暑い日も、寒い日も、雨の日も、カンカン照りの日も、商いは続く。

    商売の基礎を身につけたのはこの頃だった。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 死んでわびる(1995年10月|22歳)

    この日を境に人生を一変させる事件が起こりました。

    家に帰ると暗い顔をした家族の姿が。

    何が起こったのか聞いてみると1通の手紙を差し出された。

    父親からの手紙だった。

    当時、商売をしていた父は、保証人やギャンブルで多額の負債を抱えていたのだ。

    手紙には「死んでわびる」の文字が記されていた。

    これをきっかけに美容室を退職し、家業の電気店を手伝うことになる。

    まさに人生の転機だった。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 超プリティ(1995年6月9日|22歳)
    きんや

    親になって親の気持ちを知るわけです。

    いい加減な人生を送ってきた自分でも、親にとってみればかわいいんですね。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)

  • 天使が・・・(1995年6月9日|22歳)
    きんや

    娘が誕生しました!!

    命名は「明音(あかね)」。

    いつも明るい音を奏でて欲しい、そんな思いで名づけました。

    天使ですよ。。。

    更新日:2008年10月8日コメントする(0)