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jiji-meiさんが最近登録した自分史(更新順)

  • 「人生最良の日」(2010年4月8日|31歳)
    jiji-mei

    「人生最良の日」なんて、言えるほど素晴らしい人生を歩んでもないし、どういう日の事を指すんだろうって思っていた。そんな私にも、これが「人生最良の日」なのかなと思える日があった。それは2010年4月8日披露宴の前撮りの日だった。
    朝からホテルへ出向き、花嫁さんにしてもらった。入念にお化粧をしてもらった。主人は興味深げに鏡越しに私を見ていた。
    最初は色うちかけ。親孝行にと、着物好きの母に選んでもらった。
    今どきではなく、古風な朱色の色内掛け。私の実家の近くに桜の山があるため、桜は私の田舎のシンボルのような気がしていた。きっとそれは母も同じだったようで、朱色に桜と鳳凰の刺繍をあしらった色内掛けを選んでくれた。
    庭園で撮影開始、色々な表情を求められ、主人と笑ったり、手をつないだり。
    次に、白のウェディングドレスに着替え、教会で撮影。結婚式は教会でするのが、なんだかステキだと漠然と思っていたが、幼いころから剣道をしていた旦那は、挙式は絶対に和装で行うと言った。だから一生の中でウェディングドレス姿で教会に立ち入ることはないところだったが、カメラマンさんが融通きかせてくれ、教会で主人と腕をくんで撮影できた。
    ここからロケに出発。目指すは桂浜。2人とも高知で生まれ育った。主人は海のまちで生まれ育ち、当然海が好き。私は山に囲まれた田舎で生まれ育ち、毎年夏に父が連れて行ってくれた海が嬉しかった。海は飽きない。海の近くに住めたらステキだなと子供心に思った事もあった。だから、海での撮影は、特に桂浜での撮影は楽しみだった。
    白のウェディングドレスで撮影に向かうと、観光客の皆さんからも祝福していただき、幸せだなと思った。とっても楽しそうで、とっても嬉しそうで、とっても幸せそうな写真を沢山とって頂いた。
    ロケはまだ終わらない。次は仁淀川へ。川沿いには少し葉桜になりかけた桜並木が、満開ではなかったけど、私の好きな緑色も混じった桜並木はそれなりにキレイだった。桜の中撮影をしていただいた。
    続いて河原へ、これは主人の希望だ。鮎釣りが趣味の主人が、鮎釣りシーズン毎週のように通った仁淀川で撮影。普通に撮影した後、主任は全身鮎釣りルックに!!!そう、主人は鮎釣り人。主人の熱望で、その姿も撮影して頂いた。
    日も傾きかけたけど、まだホテルに戻って、カラードレスに衣装変えし撮影が待っている。
    クタクタの中、最後の撮影が終わった。
    長い1日だった。この日、主人公は間違いなく私たちだった。アルバムを開くと、この輝いた時間がよみがえる。

    更新日:2012年1月27日コメントする(0)

  • 実家のお正月(2010年1月1日|31歳)
    jiji-mei

    2010年の正月。2009年に入籍したものだから、実家ではなく嫁ぎ先で正月を迎えた。実家で家族とそろった正月を迎えていたのが懐かしい。生まれて1度もかかした事はない。家族との正月。
    実家での正月は、母が年末におせち料理をつくり、いけばなをし玄関や床の間に飾り、小さな鏡もちやお酒を神棚におそなえする。
    おとそを頂く専用の容器を床の間に飾り、鏡もちの変わりに、米を山のように盛り、その頂上に、だいだいを飾り、米山の周囲に干し柿、じゃこ、栗、切り餅などをかざる。
    おせち料理のお重は3段。1段=かずのこ、2段=黒豆(妹が好きなので1段全て黒豆)、3段=卵焼き、かまぼこ、芋栗きんとん、田作り、昆布巻きである。
    芋栗きんとんと田作りは、私が短大時代に調理学実習で得たものを作って母に見せて以来、レギュラーメニューとなった。
    お雑煮は、和風だしで、具材は祖母の作ったもち(湯で、やわらかいもの)、水菜、じゃこ、里芋、豆腐、かまぼこ、鰹節がのっている。具材が多いため、お雑煮用の3段のお重が存在する。
    (友人に雑煮の具をたずねたとき、こんなに具がのってるのは我が家だけだと気付いた。)
    正月の朝は8時頃に起床し、席につく。父→母→兄→私→妹の順に、だいだいののった米山をもち、お年を頂く。(「●●才になります。今年も健康でいられますように」といった具合に。●●才は2つ足した年齢を言う。理由は分からない。)そして、少量のおとそを頂く。
    そして、おせち料理を頂く。
    母は仕事をしながら、このように正月の準備をすすめていた。母はすごいなと思う。
    嫁ぎ先のおせち料理の話は、また今度書くとしよう。



    更新日:2012年1月7日コメントする(0)

  • 忘年会とコンプレックス(2011年12月|32歳)
    jiji-mei

    32歳になった私はぽっちゃり体型で、体型にコンプレックスがある。素足は見せないように、二の腕は出さないように、20代後半からそんなファッションになってしまった。
    私の毎日は、家事と往復約2.5時間の通勤と、仕事繰り返し。超多忙で、運動もろくにしないもんだから、体力もなくすぐに疲れてしまう。
    休日は家に引きこもっては勉強したり、仕事したり、映画みたり、ドラマみたり・・・。
    そんな毎日の中、忘年会があった。私の部署も気つけば、後輩だらけ、今の子は皆可愛い、そしてキレイでおしゃれ。
    後輩の一人がこういった「ダイエットしないのは、コンプレックスがないからでは?」、「美は努力ですよ」と。
    確かに、皆、ジムに通ったり、食事に気をつけたり努力している。
    私は?努力してない。
    なんだか、同じ女性として自信もなくなてきた。
    忘年会では、今年1年におこった映像が次から次へ流れる。
    やや落ち込んだ気持ちでその映像をぼーっとみる。いろんなことがあったな。1年って長いな。私は何してたんだろう。むなしいな。私はちっともおしゃれじゃないし、太ってるから、いろんな人にあいさつに行くの、嫌だな。歩く後ろ姿を見られたくないな・・・そんな忘年会だった。
    忘年会終了時刻に飛び出し、タクシーに乗った。
    ふと小さな手紙を見つけた。今日まで研修にきていた方が私にくれた手紙だ。中には、研修期間の感謝と、私のような女性になりたいと感想が添えられていた。
    こんなに自分を下げすんで、むなしく思うほどの体型コンプレックスの私のようになりたい?
    ・・・そう、忘年会で強く感じたコンプレックスとは裏腹に、職場ではムードメーカー的存在。経験年数もあり、役職もある。いつでもよくしゃべり、冗談をよく言っては人を笑わせるのが得意。後輩を励ますのが得意。正義感が強く、間違いは正したくなるような、男前な性格でもある。
    コンプレックスが少しでも減るように、より明るい気持ちになるように、私も後輩たちを見習って努力しなきゃいけないな。

    更新日:2011年12月13日コメントする(0)

  • 大切な人の死(2011年12月12日|32歳)
    jiji-mei

    今日、大切な人が死んだ。
    その人はいつも優しかった。
    でも死ぬ前は、「早く死にたい、早く死にたい」と言っていた。
    私は生きていて、死ぬのって怖い。これまで生きてきた軌跡や、大切な人のことを忘れてしまいそうで、孤独で、死ぬのが怖い。
    なのに、死にたいなんて・・・よっぽど辛かったのかな。
    大切な人には家族がいた。死んだら家族が悲しむよ。それを想ってもなお死にたかったの?せつなかった。
    あなたのまわりにいる家族は生きていてほしかった。
    苦しい人生であってほしくなかった。さびしい人生であってほしくなかった。最後は少し苦しい思いしたけど、安らかな顔だったって。
    人生は幸せでしたか?優しさにあふれていましたか?笑顔があふれていましたか?
    私は、あなたから、優しさと笑顔をもらいました。もう痛いことも苦しいこともないでしょう?そこは、きっと暖かく、明るい場所ですよね?
    今までありがとう。どうか安らかに。お葬式に行けなくてごめんね。

    更新日:2011年12月12日コメントする(0)

  • 私とマンガ(1989年12月|10歳)
    jiji-mei

    私たち家族は、時々、自宅から30㎞ほど離れた市内まで買い物に行っていた。
    あれは、いくつの時か、市内の商店街に買い物に行った時、ある小さな古本屋で、母が単行本を買ってくれた。
    古本だったので、値段も手ごろだったのだろう、1巻~9巻ほどをまとめ買いだった。
    たぶん誕生日でもないし、特別な理由はなかったと思う。なぜ買ってくれたのだろう。私がねだったのか?私がそのマンガを知っていたのか?それまでおそらく、少女マンガは読んだ事がなかったと記憶している。
    もともと空想をしたり想像するのが好きな方で、夜も楽しい夢をよく見ていた。そんな中、現実離れしたストーリーにのめりこみ、ときめいた。
    それからというもの、さまざまなマンガに心奪われた。
    きっかけとなったマンガは「ときめきトゥナイト」
    その後、ちゃおや少女コミック、マーガレットなど月刊誌を読んでいた。
    特に心に残っているマンガは、篠原千絵先生の闇のパープルアイや、海の闇月の影、天は赤い河のほとりや、渡瀬悠宇先生のふしぎ遊戯。その後、少年マンガにもはまり、幽遊白書、スラムダンク、行け稲中卓球部など読んだ。
    おばから、昔のマンガを借りて、エースをねらえを読んだ事もあった。
    マンガが大好きでマンガ家になりたいと思った時期もある。ストーリーには自信があったが、絵が下手であきらめた。絵が上手な友達がうらやましかった。
    なつかしいな。最近、マンガを読んでいない。大人になったけど、あんなに好きだったマンガだ。たまに読むのもいいかもしれない。

    更新日:2011年11月26日コメントする(0)

  • 桂浜と松の木(1981年5月|2歳)
    jiji-mei

    5月、太陽の日差しが熱く感じる日。家族で桂浜に出かけた。
    記憶はないが、当時の写真をみると何となく、自分のたどった足跡が脳裏にうかぶ。
    5月のある日、父、母、ひとつ年上の兄と2歳の私は、一家4人で桂浜に出かけた。
    熱でもあったのだろうか、写真に写る私の顔は赤くほってっていた。けだるい表情で、今にもぐずりそうだ。
    母が「イルカがね・・・」と言葉を発した瞬間、私はひきつけを起こした。舌を噛み切らないよう、私の口に母が指を突っ込んだそうだ。母の指を強く噛んだ。
    激しいひきつけを初めて見た父は、私が死んでしまうのではないかと気が動転し、桂浜水族館にあるアシカショーのプールに飛び込んだとか・・・(嘘か本当か)。
    偶然その場に居合わせた医療関係者らしき人の適切な処置があり、母は大変助かったと言っていた。
    そして救急車が到着。その時桂浜は黒山の人だかりになっていたそうだ。
    私と父と母は救急車に乗り込み病院へ。
    病院に到着・・・両親はその場に1つ年上の兄がいない事に気付いた。”桂浜だ” 父が急いで桂浜に戻ると、兄は松の木の傍らでじっと動かずにいたそうだ。
    私がひきつけを起こし、周囲が黒山の人だかりになる中、「ここでじっとして待ちよれぇ!!」という父の言葉を、小さな兄はじっと守っていた。
    いつもと様子が違う妹、あわてふためく父、妹を抱きかかえる母。集まるやじ馬。サイレンとともに赤く点灯しながら近付く救急車。そして、自分だけを残し家族を乗せた救急車は行ってしまい、集まっていた人ごみもまばらに散り、そこには鳴り止まない桂浜の波の音。
    ・・・兄は強いな、泣かずわめかず、身の周りで起こっている異常事態の中で、自分がすべきことを察し、松の木と一緒に待っていた。

    更新日:2011年11月17日コメントする(0)

  • 私の誕生って(1979年11月19日|0歳)

    1979年11月19日私の生まれた日、日本はどんなだったんだろう。どうやら日本の物価はビール215円、かけそば一杯250円。ズームイン朝が始まり、パイの実やミルクキャラメルがヒットした年だったようだ。
    私の生まれた町はK県の片田舎。秋は日暮れが早く、肌寒くどこか寂しくあまり好きでないのだが、私の生まれた11月19日もそんな日だったのだろうか。私が生まれたのは18:23頃だったかと伝え聞いている。それなら間違いない。きっと太陽は沈み、本来まっ暗い町内には、ピンクと白の街燈が灯っていたのだろう。
    生まれる前、私はお腹の中でなんとまあ動かない赤ちゃんだったようだ。生まれてからすぐにも泣かなかったとか。
    兄の生まれた1年4ケ月後に生まれた待望の女の子だったであろう私。当時、父の両親も母の両親も健在だったから、さぞかし喜んでくれたのだろう。
    まさかこの数ケ月後に母の両親のもとへ私が預けられる運命にあろうとは、この時誰も夢にも思わなかった。

    更新日:2011年11月14日コメントする(0)