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  • 人生の初体験(1971年8月3日|0歳)

    大学試験に落ち、親戚のおじさんの友達の息子さんがオープンするレストランに就職しました。場所は秦皇島というところでした。生まれて初めに故郷を離れ、知らない人と一緒に汽車に乗りました。送りに来たお父さんの姿は今でも浮かんできます。母はだぶん家で心配しているだろうと思いながら涙は止まらなかったのです。でも、それは瞬間であり、新しい体験でドキドキする自分が遠足前夜の子供と違いはなかったのです。24時間の旅で目的地に到着し、厳しい日々が続きました。毎日の訓練は冗談ではなく、人に負けずに頑張りました。メーニュの覚えから接客の知識、歩き方、物を持ち方学ぶものは次々・・・でも、一番楽しかったのは海に行けること、社長は故郷の人であって海鮮はもちろん毎食欠けないし、海にいく時間まで作ってくれました。
    みんなスイカを持って、海辺て食べるのが何よりもおいしいです。いよいよオーブンの日、楽隊も来ました。舞台もあって、レストランというより毎日がだらかの結婚式見たい。お客さんも多い、韓国人、日本人、アメリカ人・・・
    韓国語は問題なかったのでよくチップももらいました。ある日のことです、日本人の客さんが通訳を連れてこなくで注文が大変そうでした。日本語学校を終了してきたスタッフが多数だったため私は黙っていたのに、結局彼女うたちは緊張したか対応できなくなりました。私は中学校で日本語を学んだことがあってその客たちの注文を受けることができました。それから、ポーナスも増え、和式ビップルームの担当になりました。(VIPルームは背が高くできれいなスタッフの担当でした。私は一回で普通のお客さんの担当で)外国人はチップが多いのは決まっているので、喜んで担当させてもらいました。もちろん、仕事が終わったら日本語を勉強するのは欠けない毎日でした。
    チャンスがきました。レストランで仕事を始め、三ヶ月経った時のある日、阪口有限会社の技術担当村田光国さんがレストランに来て焼肉を頼みました。それからその一同じは私に歌を歌えるかなあと言いました。(当時店には歌手をおいて、お客さんの歌注文も受けたのです。一曲は20元です)私は「歌手を呼びます?」と聞き、急いで舞台に向いたのです。でも、彼は社長に私の歌を聴きたいと頼みました。びっくり、これは有り得ないことだ、私は思いました。でも、社長は歌っていいよと。自信がないのはなく(学校時代に舞台で活躍したので)なぜがその気になりませんでした。その時、村田さんのそばに座っていた安子さんが「大丈夫、中国の歌でもいいから」と言いました。何で?私が日本の歌ができなくで困っていると思っているのか?よし、一曲歌おう!
    私は何曲できるので舞台に上がりました。「桜」そう、日本国の花だろう!それを歌おう!一曲だけと思ったのに、別の部屋のお客さんからの歌の注文さらに指名が・・・その日私は一か月の給料分のお金を稼ぎました。嘘!ほんとに信じられない体験でした。夜、家族に手紙を書きました。それで、次の日はお金を郵送しました。生まれて初めに両親に自分が稼ぎたお金を送ることができました。それは1992年の夏でした。

    更新日:2009年2月6日コメントする(1)

  • 誰か・・・誰かが聞いてほしい私の秘密を公開したい。家族にも言えない、友達にも言えない、でも、死ぬまでもっていくということが苦痛なのである。体が急に重くなっている。何が起こるかわからない。(1971年8月|0歳)

    そう、そう。振られたのよ。
    私のせいじゃなかったのに・・・でもね。

    更新日:2009年2月4日コメントする(0)