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Joe & Millyさんの自分史

世の中の出来事

2003年(25歳)

  • アメリカ ロサンゼルス へ♪(4月)

    アメリカ ロサンゼルスへと主人の転勤が決まり。
    渡米準備を進めている中、妊娠が発覚。
    渡米するときには、私は妊娠5ヶ月になっていた。

    実家から遠く離れて暮らす機会がなかった私は、
    両親と離れて暮らすことが、淋しくてしょうがなかった。
    家族や友達に見送られ、飛行機に乗り込んだものの、
    涙が止まらず、飛行機の中では半分以上は泣きっ放しだった。

    長時間のフライトが終わり、先にロサンゼルスに来ていた
    主人が迎えに来ているはずなので、ワクワクしながら出口へと向かった。

    仕事の都合上、先にアメリカに向かった主人と再会するのは、
    約三ヶ月ぶりのことだった。
    私は妊娠していたので、渡米前は電話で体調をすごく気にしてくれていた。

    出口から出ると、すぐに主人の顔を見つけた。
    笑顔で走りよってくる主人。

    「よくきたなあ!大きくなって!」
    「そう?まだあんまりお腹はでてないと思うけど…」
    「いや・・・身体が…」

    私は妊娠と同時に つわり が始まり、その つわり が
    「たべづわり」だったため、一日中何かを口にしていないと、
    気分が悪くなってしまうので、食べ続けていた。
    結果体重は妊娠5ヶ月で8キロ増し…。
    久々に再会して主人は、驚いたようだった。

    でもこちらからすれば、妊婦を置き去りにしていった(仕事だけど)
    上に、久々の再会の一言目にそれはないだろう?と思った。

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  • IKEA(4月)

    空港を出るとき、主人が一言。

    「家になんの家具もないから、IKEAに買いに行こう!」
    「…え?休憩しない?」
    「いや、会社からトラックを借りてきたから、今日いかないと!」

    長時間のフライトだけでも、疲れているのに、
    妊婦ということで、本音は行きたくなかった。
    しかし話を聞いていると、家の家具は女性ならでわのこだわりが
    あるだろうと、気を遣ってくれて購入していない、と言うことだったので、
    そんな主人の心遣いを無にしてはいけないと思い、
    荷物だけを置きに自宅へと帰った。

    私の想像ではアメリカの家は、広い庭付き一軒屋のイメージがあったので、
    アパートを見たときには、不思議な感覚だった。
    でも日本とは違い、二階建てのアパートの中には、
    プールやジャグジー、ビリヤードに卓球、BBQまでもがあり、
    すごく豪華だった。

    部屋も夫婦2人だけなので、ワンベットルームにしたと、聞いていたので、
    狭いのかな?一部屋だけ?
    と思っていたら、すごく広かった。
    家具がまったくないので、もちろん広いのだけど…。

    重たい身体と、お腹を持ちあげてIKEAへと向かった。
    家から近く 20分ほどで到着。
    あまりにも、大きな建物にただただ圧倒されていた。
    まず驚いたのが駐車場の広さ。
    これだけの駐車場があれば、日本だとスーパーができそうだな。
    なんて、つまらない事を考えながら中へと向かった。

    IKEAの中は、もう可愛い家具がたくさんあり、
    私の疲れた顔はみるみるうちに元気になり、
    買い物が嫌いな旦那の顔はみるみる、疲れてやつれていった。

    必要なベット、リビングのテーブル、ソファー、テレビ台、etc...
    を選び、専用の用紙に番号を書く。
    小物もたくさん選んで、レジへと向かった。

    すべて、今日持って帰りたかったので、在庫があるかスタッフに
    確認をする。
    スタッフがコンピューターで調べ、すべての在庫があると
    言うので、早速購入しにレジへ。
    お金を払い終わり、荷物の引取りの場所で待つようにと言われ、
    一時間ほど待っていた。

    久々の再会で話すことも多く、一時間はあっと言う間にすぎた。
    私たちの番号が呼ばれ、引き取りに行く。

    「ベッドのフレームはあるけど、マットはない。テーブルはないけど、椅子はある。」
    「え?さっき、在庫は全てあると言われたけど?」
    「ないもんは、ない。後日電話で確認して、在庫があるときに取りに来て。」

    結局何度も、さっき確認して在庫はあると言われた!と言った所で
    ない! んも一点張り。
    私の怒りは奮闘して、英語がその時は話せなかったので主人に、

    「ねえ!文句言ってよ!だって在庫がないなら、他のものにしたのに!」
    「いや、こんなん普通。帰ろう。この国は怒るだけ無駄!」

    そう言って帰ろうとする主人の態度が理解できず、むすっとしている
    私に一言。

    「ここアメリカで、こんなことで怒っててもきりがないよ。」

    のちに、この言葉を理解することができるようにはなるが、
    今まで日本でしか生活したことのない、私には理解ができなかった…。

    結局すべての家具が揃ったのは、一ヵ月後だった。

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  • 恐怖の運転免許証(5月)

    ロサンゼルスでは、運転できないと普段の生活も大変なので、
    ほとんどの人が免許を持っている。と思う…。
    実際、歩きで出かけられるところはほとんどなく、
    私は、妊娠だったので病院へ行かないといけないし、必ず車が必要だった。

    渡米して五日目、主人に言われるがままに筆記試験を
    受けたら受かったので、すぐに実技を受けることになった。
    主人の仕事が終わるのが遅く、運転の練習を夜に二度しただけだった。
    日本でも通勤で車を使用しているくらいだったので、
    車線が逆だということさえ、注意すれば問題がなかった。
    練習もスムーズに済み、きっと大丈夫だろう…と2人とも思っていた。

    当日、仕事を休んでくれた主人と一緒に自分の車で試験会場へ。
    ここでは、自分の車で試験をする。
    この時に乗っていたのは、トヨタのカムリだった。
    主人は一緒にはいけないので、DMV(試験会場)で待っていた。

    路上へ出発する前に、DMVで車のパーツがわかっているのか等を
    試験することに。
    ここで、点数がマイナスになると路上へはいけない。
    そこで、でてきた試験管の顔を見ると…。
    アジア人を嫌う黒人の大きな女性だった。

    「やばい…どうしよう。」と私。
    「普通に運転してたら、落とされへんやろ。」

    いよいよ試験開始。

    「手信号の右折」
    「ワイパー」

    と順番に言われたものを動かしていく。

    「●×●×」

    試験官が言った。

    「??」

    英語が判らなかったが、何故か勝手に手が動き、
    ワイパーとウォっシャー液を出してしまい、焦っていて
    ワイパーは一番早い速度で動いてしまった。
    当然車の傍に立って試験をしていた試験管にかかってしまい。

    「おうっ!」

    と言って、部屋の中に入っていってしまった…

    「どおうしよう。落ちた.。。。もう駄目だ。」

    そう思っていたら試験管が戻ってきた。
    そしてもう一度、同じ言葉。
    判らずに何故かまた、ワイパーとウォッシャー液を出してしまい、
    同じく試験管の顔にかかってしまった。。。
    今度は無言で部屋に入っていく試験管。

    「もう駄目だ。どうしよう…」

    ふと、周りを見ると、建物の影で大爆笑している主人がいた。
    そんな主人を腹ただしいと思える元気もなかった。
    すると、また試験管が戻ってきた。
    すると、助手席に乗り込んで、「行け!」という。
    私は最初意味がわからなかったが、どうやら最後は失敗だったが
    なんとか合格したらしく、路上に出れるらしかった。
    私は慌てて、でも冷静に車を出して出発した。

    試験管に言われるままに、右折、左折、一時駐車をクリアして、
    今度は左折で信号を待っていた。
    左の矢印がでたので、左右を確認し左折した。
    と同時に試験管が大声でどなった。

    「●×●×!!!!!!」

    当時は渡米したばかりで、まったくと言うほど英語が
    判らなかったので、なんで怒鳴っているのかわからなかったが、
    とにかく車を止めろというので、止めた。
    すると、今度は降りて隣に座れという。
    どうやら、運転を変われということらしかった。
    普通に左折し、車もきてなかったし、落ちた理由が判らなかった。

    怒鳴られて怖かったのと、落ちたことが悲しかったので、
    涙が出てきた。
    DMVへ帰っている間は、ずっと涙が止まらず、
    DMVに到着し、主人が駆けつけたときには、涙で顔がぐちゃぐちゃだった。

    「どうした??」
    「落ちた~」
    「そりゃ~あれだけ、ウォッシャー液かけたら落ちるって」

    そう言って、そのまま家へと帰った。
    その日から私は黒人恐怖症になってしまった…。

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  • 英語恐怖症(5月)

    渡米して一ヶ月。
    私はどんどん、英語を聞くのも話すのも嫌になっていた。

    英語は特に特別な言葉でもないし、勉強しなかった訳でも
    なく、英語科を卒業したというだけで、少しは話せるだろうと
    過信しているところがあった。

    そんな過信からか、実際の英語を聞くと聞き取れない!と言う
    事実が受け入れられず、どんどん

    「英語は私には、必要ではない!もう外なんて出ない!」

    とマイナスにしか考えられない、状況になっていた。
    でも、主人の帰りをまっていたら、どこにもいけないし、
    一日中家にいても、日本語のテレビがやってるわけでもない。
    つまらないので、外出したい!
    でも外出したら英語に触れてしまう…。

    そんな事を一日考えて、まったく家から出ない日もあった。
    でも私は妊婦なので、やはり時期がきたら病院へは行かなければ
    いけない…。
    そんなときに、血液検査をするように、医師から言われた。
    行きたくないな…。
    で、済むはずもなく私は病院へ行った。
    病院へつき、受付を済ませる。
    部屋に通されて待っていたのは、黒人の看護婦さんだった。

    私はあの、恐怖の運転免許の日から本当に黒人恐怖症になり。
    買い物をしているだけなのに、レジに黒人がいるだけで
    どんだけ、混んでいても違う列に並んだりもしていた。

    そんな私の血液検査の担当の看護婦さんが黒人だった。
    やばい…。
    とは思わず、私はしばらく見惚れてしまった。
    なんとその黒人の看護婦さん。
    モデル?芸能人?
    と言うほど、ものすごく美しい看護婦さんだった。
    しかも、英語のわからない私の為に、ものすごく丁寧に
    ゆっくりと英語で話してくれたり、私の体のことを心配してくれたりと、
    とにかく気のつく、優しい看護婦さんだった。
    おまけに、血液検査も上手にやってくれたので、痛みがなかった。

    単純だが、私はその日から黒人恐怖症がなくなった。

    その後、気分がよかったのでスーパーに買い物へ行った。
    美しい黒人の看護婦さんに優しくされて、上機嫌になっていた私は、
    好きな物を好きなだけ買って、(もちろん必要なものも)
    レジへと並んだ。

    その時に空いているレジはその一箇所だけだった。
    なかなか先に進まないので、先を見てみると。。。
    なんと買い物が、すでに終わっている客と、普通に喋っていた。
    日本ではありえない光景に、だんだんと腹が立ってきた。
    これだけ人が待っているのに平然と話をしている定員。
    やっと話が終わり、レジが進む。

    でも私以外は、そのありえない定員の態度に腹を立てている様子もなかった。アメリカ人って気が長いな。。。
    住んでいるなら、こんなことで腹を立てたらいなけいのかな?
    などと思いながら、気持ちを落ち着かせて自分の順番を待つ。
    英語恐怖症が治ったわけではなかったので、冷静に戻れば戻るほど、
    自分の順番がくるのが怖くなってきた。

    私の番が来て、レジを定員が打つ。
    もうすぐ何か言われる…。
    怖くてしょうがなかった。
    「●×●×」
    「Sorry。。。」
    いつもの癖でわからないので、すぐにあやまってしまった。
    するとその定員が、「ふんっ」と鼻で笑った。
    その姿をみた瞬間に、私の中で「ぶちっ」と大きな音とともに
    怒りがこみ上げてきた。

    「なんで私が悪くもないのに、鼻で笑われないといけないのよ!
    私は客だー!!!!!」

    と心の中で思った。
    その瞬間、なぜか私はアメリカ人の女性に変身し、
    「はーん?」と定員をにらみつけた。
    その瞬間、定員の態度が面白いくらいにがらりと変わり、
    笑顔で私を送り出してくれた。

    未だに何故あんな態度になったかは不明なのだけど、
    とにかく悪くもないのに、謝るのだけは辞めよう!と決心した。

    この日一日で、二つの恐怖症を克服できた私だった。
    それと同時に、アメリカに徐々に慣れていった。


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  • よきせぬ出来事★(8月21日)

    2003年8月21日。
    この日は、妊娠の検診の日だった。
    臨月になった私は、近所に友達もできて、
    徐々に、アメリカ生活を楽しめるようになっていた。

    前日には、お友達の まりちゃんと、韓国人のレイチェルと三人で、
    韓国スーパーへ行き、レイチェルお薦めのキムチを大量に購入していた。

    それには理由があって、妊娠すると刺激物を食べることは、
    お腹の赤ちゃんにあまりよくない、早産の可能性が高まる…と
    聞いていたので、私は大好物の刺激物を、妊娠中の10ヶ月食べていなかった。しかし、臨月になり、もう産まれても大丈夫な時期になったので、
    おもいっきり、食べたい!!!!と言うことで、韓国スーパーへ
    行くことになった。
    出産してからでもよかったが、我慢ができなかった。

    検診の結果は、問題なし!
    ただ、子宮口が全然開いていないので、たくさん歩くように言われた。

    私はいつも、お友達の まりちゃんと夕方にアパートの周りを
    歩いていた。
    大きなアパートなので、3週もすれば息がきれて、リタイヤ…
    だったのに、この日は歩けといわので、頑張って10週した。
    いつもよりも、歩く速度も早かったのか、10週を歩き終わった頃には
    クタクタだった。
    家に戻り、夕食の準備。
    楽しみにしていた キムチ を準備し、主人の帰りは遅いので
    一人で夕食を食べ、かたずけをしてお風呂に入り、
    寝る準備をした。
    一旦寝てしまうと、主人の帰りにきずけないので、
    テレビを見て時間をつぶす。

    やっと帰ってきた主人に夕食の準備をして、食べさせて、
    あとかたずけをして、ベットへ。
    主人がベットへ入ったのもきずかず、寝ていた。

    午前4時半。
    お腹が痛いので、トイレへ。
    汚い話だが、普通に用を足して再びベットへ。
    するとまたお腹が痛い…。
    トイレへ行っても、なにも出ない…

    「ねえ、お腹が痛いけど、トイレじゃないみたい。どうしたんだろう?」

    主人を起こして聞いてみる。

    「え?それ陣痛じゃないの?」

    主人に言われるまで、気付かなかった私。
    言われてみると、痛みに間隔がある!
    慌てて時間を計ると、なんと7分間隔だった!
    今日検診へ行った時は、子宮口も開いていないし、
    一週間は生まれないと思う。
    といわれていたのに、心の準備も、入院の準備もできていなかった。
    幸い、こちらの病院は準備するものも、あまりないので助かった。

    問題は、日本から手伝いに来てくれる予定になっていた母。
    初産だし、予定日が9月1日だったので、まさか予定日よりも大分
    早いということはないだろうと、出産の3日前から来てくれる予定に
    なっていた。
    仕事をしていた母。
    電話をすると、なんとかチケットと休みを取ってくれるということだった。

    そのまま、バタバタと病院へ向かった。

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  • ★陣痛★(8月22日)

    出産の本を見ると、陣痛には波があり、
    痛くなったり、痛くなかったり。。。と書いてあったが、
    その通りだった!

    陣痛が始まって、終わる。
    次の始まる時間までに歩いて車まで移動。
    痛くなる、少し停まって痛みが引くのを待つ。
    またスタスタと異動して車へ。

    そんな事を二、三回繰り返して車へ異動できた。
    病院へ行くまで車で約10分。
    明け方なのですいていた。

    病院へ付くと、緊急の受け付けの看護婦さんが、
    すぐに車椅子を持ってきてくれた。
    車椅子に乗り、処置室へ。
    色々な機材を付けて…10分もしたらすぐに、
    分娩室へと通された。

    この病院は、分娩も入院も同じ部屋。
    一度運ばれたら退院までずっと同じベットでいられる。
    すごく混雑している日は、出産後普通の部屋に異動させられる
    こともあるらしいが、私は同じ部屋にずっといることができた。

    分娩室へ異動した後は、ただひたすら陣痛の痛みと闘っていた。
    この病院では、というかアメリカが??
    普通に無痛分娩が行われているので、ほとんどの人が無痛分娩で
    出産していた。
    私は日本人だし、普通分娩で出産する!と決めていた。
    そうすれば、麻酔代もかからないし!と意気込んでいた。

    「ねえ、絶対に私が無痛したい!と言っても止めてね!絶対に!」

    私は陣痛に耐えながら何度も主人に言った。

    「わかった!」

    主人は力強くうなずく。
    しかし、無痛分娩が普通な病院。
    なんども看護婦さんが無痛分娩を進めてくる。
    何回断っただろう?そんな時、主治医がきた。
    子宮をチェックする。

    「まだ2cmしか開いてないわ!人口破水しましょう。」

    そう言って、 ぶっちっ! と言う音とともに、破水した。
    私は初産だし、何も状況がわからないし、
    どれがどう正しいのかわからないので、ただただ医師の指示に
    したがった。
    この医師がとんでもない医師だと、出産後に知らされるまでは…。

    「これからは、子宮コウが開くので待ってください」

    と片言の日本語を話して去っていった。
    私の主治医は日系人の女医だった。
    私はまったく英語がわからなかったので、少しでも日本語が
    話せる先生がいい!しかも女医なら最高!
    と思い、この女医にかかることにした。
    無料で配布している、日経紙で彼女を見つけた。

    しかし実際検診にいくと、日本語が話せるレベルではなくて、
    いつも言うことは同じ、

    「みそしーる、飲まないでください。」

    と片言の言葉。
    不安になったが、他の英語の先生になるともっとわからないし、
    そう思うと先生を変える気力もなかった。

    人口破水してから、急に陣痛の痛みが増し、
    出血もひどく、なんと陣痛の波がなくなり、ずーっと痛い!が
    つづくようになってしまった。
    どの角度になろうが、どんな呼吸をしようがその痛みは治まらず
    ただただ耐えていた。

    そんな時に日本人の看護婦さんが来てくれた。
    私は妊娠中に、日本人の看護婦さんが主催する、
    両親学級に参加していた。
    そこには、私と同じ臨月の妊婦さんが11人来ていた。
    みんな日本人で、これだけ日本人で同じ境遇の人がいると
    思えるだけで、元気付けられた。
    そのクラスを5回受講する中で、お友達ができたりもした。
    今では、その時のお友達家族達が5年半のアメリカ生活で
    私達家族の支えでもあり、大切な存在になったのはいうまでもない。

    そこで、紹介されたのが今病室に来てくれた看護婦さんだった。
    彼女はベテランの看護婦さんで、主に日本人の患者を担当してくれる、
    私たちにとって、素晴らしい存在だった。

    「どう?気分は大丈夫?あら。いたそうね~」

    彼女はそう言って励ましてくれる。

    「痛い中ごめんなさいね、でもねちょっと書類があるから、YesかNoだけ言って ね。」

    そう言って質問が始まった。
    この書類は病院が必要とするもので、出産するには絶対に必要なものだった。アメリカ人は書類に目を通し、サインをしたらそれで終了。
    しかし、陣痛の中、英語の書類なんて読めるわけがない!
    というわけで、彼女が来てくれていた。

    「家庭内暴力はある?ないわよねえ~。ご主人お優しいものね。」

    「ありません。。。」

    あるわけないだろ!と心の中では叫んでいた。
    彼女の存在はとても有難く、感謝していたけれど、
    ゆっくりと話すペースも、余計な話もこの状況の私には
    一分でも早く終了して欲しい状況だったので、
    苦痛でしかなかった。

    何でも良いから早く終わってくれ!!!

    そう願いながら、長い時間がやーっと終わった。

    「ありがとうございます!」

    それだけ言うのがやっとだった。

    彼女は微笑んで、「頑張ってね!」といって去っていった。
    彼女がいなかったら、どうなっていただろう?
    陣痛の中、主人が必死に英文を読んで訳をして質問する。。。
    どれだけ時間がかかったことか、本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。

    主人は結婚前から、海外で生活していた時間が長く、
    英語に問題はなかったが、さすがに出産や、医療の分野は
    苦労するらしく、主人も彼女に心から感謝をしていた。

    「ねえ、もう限界、麻酔師呼んでくれる?」
    「え?無痛で頑張るんでしょ?」
    「もう無理。早く呼んで!」
    「駄目だめ、頑張れ!」

    「うるさい!!!!早く呼べーーーー!!!!!!」

    と私。結局私の形相にびっくりした主人は慌てて麻酔師を呼んでくれた。
    正直限界だった。
    実家の母に出産後に言われたが、麻酔を使ったと聞いたとき、
    妹と「根性ないね~」と笑っていたらしい。
    そう、根性ないです。
    だって痛かったんだもん。

    すぐに麻酔師が来て、麻酔をしてくれた。
    この注射がまた痛くて、打ったときにはその痛さに
    打ったことを後悔した。



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  • ♪待望の長男、ジョー誕生♪(8月22日)

    無痛の麻酔を打つと、徐々に陣痛の痛みがなくなった。
    10分もすれば、今までの痛みが嘘の様になくなった。
    看護婦さんが来て、「少し出産まで、寝たほうがいいわ。」
    と言ってくれたので、とりあえず夫婦で寝ることにした。

    この出産も入院もできる部屋には、ゲストようのベッドが一つある。
    主人はそれに寝れるので、一緒にずっと入院できるというわけだった。

    「がちゃ」 と言う、音がして看護婦さんが部屋に入ってきた。
    ドアの音でちょうど、目が覚めた。
    看護婦さんが子宮口をチェックした。

    「大変だわ!子宮口が全開、すぐに先生を呼びます。」

    どうやら、生まれるらしかった。
    バタバタと準備が始まり、あっという間に出産が始まった。
    全く痛みを感じないので、グラフの陣痛の波をみながら
    いきむ。それが難しいかった。

    何度かいきんだところで、先生が言った。
    「心拍が下がってきています。吸引します。」
    その言葉を聞いたとたんに、不安になりとにかくいきもう!と
    必死に息んだ。

    少し吸引はしたものの、次の瞬間には産声を上げた息子、
    ジョーが2635gで誕生した。
    出産した時は感動よりも、無事に生まれた!
    と言うことが嬉しかった。

    すぐに先生がジョーを胸の上に載せてくれた。
    その瞬間、なんともいえない感情が押し寄せる。
    自然と涙がでた。
    何も考えられないはずなのに、必死に指の数を確認している
    私がいた。
    見たところ、異常はない。

    どんどん、嬉しいという感情が大きくなる。
    それと同時に何か異常がないか?気になってしょうがなかった。
    すべて、検査が終了し、きちんとお湯で洗ってもらい。
    ジョーが私の横の新生児用のベットに寝かされる。

    なんて可愛いんだろう!!!!!

    今思えば、新生児の不細工な顔を、可愛いと思えるのは
    親だけだと思う。
    のちに、子供が成長し、新生児の顔を冷静にみたとき、
    「ぶっさいくだなあ~」とぽろっと言ってしまい、
    ジョーに、「ぶさいくじゃない!」と怒られたことがある。

    その産み終わった安堵感と、幸せの空間はそう長くは続かなかった。

    新生児を、人間を育てることがこんなにも、大変だなんて!
    産み終わった三時間後に、初めて気がつくことになる…。

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  • ★新生児★(8月23日)

    あまり物事を深く考えて行動しない主義の私は、
    人間を育てることがこれほどまでに大変だとは、想像も
    していなかった。

    ハッキリ言って、甘かった。
    人間、赤ちゃんはちゃんとした人間。
    人を育てる、普通に考えれば大変なことなのに、
    当初妊娠したとき、そんな大変だと認識していなかった。

    甘かった。

    出産後、無痛分娩だったので、それほど痛みがなく、
    そのまま痛みがないものだと、思い込んでいた。
    産んですぐに、看護婦さんが
    「母乳をあげますか?」
    と言うので、あげることにした。

    両親学級に通っている時から、絶対に100パーセント母乳で
    育てる気でいた。
    看護婦さんに教わって、母乳をあげた。
    ・・・。

    「痛い!いたたたった。」

    母乳をあげる、こんな当たり前にできると思っていたことが
    これほど大変だなんて!
    このときから私の中で、色々な困難な場面に遭遇するたび、
    自分もこうやって育ててもらったんだ、と母親のことを尊敬するようになった。

    時間が経つに連れて、ジョーがお腹を空かせて泣くようになった。
    私は何故か「絶対にミルクはあげてはいけない!」と言う
    気持ちが強く、なにがなんでも母乳をあげることに徹していた。

    しかし、そう簡単に母乳がでるわけもなく、お腹を空かせた息子は
    泣き、もうどうにもならない状態がずっと続いた。
    小児科の先生に聞くと、生まれたばかりの赤ちゃんは、
    そんなすぐにたくさんの量を飲ませなくてもいいので、
    母乳で頑張ることに、賛成してくれた。

    しかし、今思えばなぜそこまでこだわったのか、自分でもよくわからない。
    出産後の母は、何か特別な感情を持ち、必死になるような気がする。
    もちろん、必死に母乳をあげたり、オムツを替えたり、
    抱っこしてあやしたりと、夫婦で必死になってやっていた。

    そんな時、看護婦さんが、
    「2人ともひどい顔よ!子供を預かるから、少しゆっくり寝なさい。」
    と言ってきた。
    その時、私は子供をとられるんじゃないか?
    と不安になり、答えは 「No,Thank you!」
    旦那はきっと、「預けようよ…」と思っていたに違いない。
    未だにあの時、預けて寝ればよかった!と思う。

    結局、2人でフラフラにんばりながらも、母乳をあげたり
    抱いて寝かしつけたりしながら、長い夜を過ごした。
    私のベッドの横で寝ているジョーを見ながら、
    ちゃんと、息をしているか?生きているか?
    と確認ばかりしていた。

    あの時の自分自身心境が、なぜあんなに神経質になっていたかは、
    未だに謎である。
    でも人間が人間を自分のお腹で育てて、外の世界に出す。
    そんな経験をしたあとだ!!と考えれば、少々おかしくなっていても
    しょうがないかな?なんて思ったり…。

    とにかく、入院している二日間は、一度も粉ミルクをあげることもなく、
    母乳だけで乗り切った。
    入院している間に、出産の傷がどんどん痛みを増していき、
    母乳に影響がない、痛み止めをずっと飲んでいた。

    二日後、無事に退院。
    といっても、自分達で車を運転して帰るだけなのだけど。

    無事に家に戻り、また子育ての格闘に入る。
    子育ての参考書をたくさん買って勉強したが、
    自分が出産して初めて、一人ひとり違うんだ!と判明。
    ジョーはとにかく寝ない子だった.。。
    小さく生まれて、母乳を吸う力が弱く、一気にたくさん飲めないので
    すぐにお腹を空かせて寝てしまっていた。
    あんだけ母乳、母乳と言っていた私も、寝不足が続き、
    母親が日本から手伝いに来てくれてからは、母親に任せて
    粉ミルクをあげたりもした。
    でも、ジョーは哺乳瓶を嫌い、飲んでくれず結局母乳で頑張った。

    退院した次の日に、母が到着した。
    母が来てくれたことで、精神的にかなり楽になった。
    私よりも弟が先に結婚し、子供がいたので母親は最新の育児情報を
    たくさん持っていたので、それもまた助かった。

    夜中にわからない事があるときは、時差を利用して、
    昼間である、日本の妹へ電話してよく相談に乗ってもらった。
    そんな中、私の出産の傷がなかなか消えず、
    回りもあまりにも痛みが薄れないので、病院へ行くことを進められた。
    そんな時、日本人の看護婦さんが自宅へ来てくれた。
    もちろんジョーの検診に来てくれたのだけど、
    あまりにも、出産の傷が痛むので、聞いてみた。
    すると、その看護婦さんが「見てあげるわ!」と言ってくれたので、
    恥ずかしながらも、傷を見てもらった。
    すると…
    なんと、止血するために使ったガーゼが中に入ったままになっていた。
    慌てて取り出してくれた。

    そのガーゼがなくなると、嘘の様に痛みが消えた。
    「これは、医者のミスです。すぐに担当医に電話した方がいいわ。
    私のほうからも、報告しておきます。」
    そう言って、看護婦さんは帰っていった。
    その日から、私と担当医の戦いが始まった。

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  • ☆女医との戦い☆(8月26日)

    出産後、「医者が、止血したガーゼを取り忘れる。」と言うことは、
    決して多いことではないが、起こりうるミスだと言う事を知った。

    でも、私は痛みが酷かった分、そう簡単に
    許すことができなかった。

    ガーゼを発見して下さった看護婦さんが、きちんと
    その女医に報告してくれたらしく、
    その日のうちに電話がかかってきた。

    「誤りますので、オフィスに来てください。」
    その女医は言った。

    「どうして、私が生まれたばかりの新生児を連れて、
    あなたのオフィスまで行かなくては行けないのですか?」

    「私は忙しいのでいけません。ちゃんとアポを取って、
    来てください。」

    こんな態度だった。

    許せなかったが、これ以上何もする余裕なんてなかった。

    新生児は思った以上に大変で、体重も一気に10キロ以上も
    痩せて、フラフラな状態が続いていたので、
    その時は、目の前にいるわが子を育てることで精一杯だった。
    周りの友達は、

    「訴えるべきだ!!!」

    と言ってくれたが、その時は本当に気力がなかった。
    怒りが収まるはずはなかったが、どんどんと月日は経っていった。

    出産3ヵ月後、婦人科検診で産婦人科に検査にいった。
    その時は、その女医のところに行くわけもなく、
    友達から評判のいい中国人の医者のところへ行った。

    検査の結果、「ティッシュー」という細胞が、外へ出てきてしまっているので、
    手術で取り除くことが必要だと言われた。
    出産後の縫い目がめちゃくちゃで、中から出てきてしまっている。とも言われた。
    一時忘れていた怒りが再び、湧き起こり、
    もう一度その女医へ電話をした。

    「一ヶ月検診で、何もなかったのだからもう、私に責任はありません。」

    そう言われた。

    「でも、縫い目がおかしいからその細胞がでてきたんでしょ?」

    「私にできることは何もありません。」

    そう言われ、手術費用も何もかも自己負担での手術だった。
    全身麻酔をするので、運転して病院へ行くことができないので、
    旦那に会社を休んでもらい、ジョーの面倒を見てもらい、
    近所のお友達が、病院へ付き添ってくれて、
    無事に手術をすることができた。

    その友達は、手術中も麻酔が覚める間も、ずっと
    病院で待っていてくれた。
    本当に感謝してもしきれないほど、助かったし、有難かった。

    両親が近くにいない分、海外生活では、近所の人や
    友達と助け合って生きているような気がする。
    私はこの海外生活で、本当に家族と同じくらい大切な
    お友達ができた。
    渡米したてのころ、この近所のお友達、まりちゃんがいたからこそ、
    私は海外で出産も、育児もやり遂げることができたと思う。

    この場を借りて…まりちゃんありがとう!!
    これからも宜しくお願いします!!!

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2003年(平成15年)

  • 3月

    名古屋連続通り魔事件で2人死傷。9月18日に被疑者の女逮捕。

  • 5月23日

    個人情報保護法が参議院本会議で可決され、成立する。

  • 12月12日

    ポール・マーティンが第21代カナダ首相に就任。

  • 出典:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
    更新日:2012年4月16日

2004年(26歳)

  • 初!ハワイ旅行!(1月)

    ジョーが4ヶ月になり、せっかくアメリカに住んでいるんだから
    どこかに、旅行に行こう!!
    と言うことになり、探していたら、なんとハワイ旅行が
    家族三人分の飛行機代、ホテル代も込みで
    $1000だった♪(三泊分のレンタカーも込み)
    これは行くしかない!!!!と勝手な分析をして
    旦那様に相談。
    渡米して、出産し、育児で夫婦ともに疲労も溜まっていたので、
    ストレス発散の為に行こう!
    と珍しく意見が一致し、行くことに。
    毎日なかなか寝てくれないジョー君を、どうしてやろうか?と
    日々煮詰まっていたのに、旅行の話が決まったとたんに、元気になる私。
    普段の外出も、よく泣く息子を連れて行くのは大変だ!!!
    と言って、日曜日の旦那様が休みの日に一緒に行ってもらい
    買い物していたのに、何故か旅行代理店には、いつでも行ける。
    人間、気の持ちよう?なのかな~?
    と少し反省しつつも、そのまま旅行の水着を買いに
    ショッピングモールへ…。
    私っていい性格だなあ~なんて思いつつ、
    こんな私の姿を旦那が目撃したら、今までの私は一体?!
    と思われたに違いない。
    そんなことは、気にせず用意を済ませ、いよいよ出発!!!
    朝の早い飛行機だったにも関わらず、寝坊…。
    なんとかギリギリにLAX飛行場に到着し、
    飛行機に乗り込む。
    ジョーの初飛行機内はどうだろう?大丈夫かな?
    と心配していたのに、授乳をしていれば騒ぐこともなく
    無事にハワイへ到着!!!!

    私の第一印象は「すごい湿気がある!」だった。
    生まれつき喉の弱い私は、カリフォルニアの乾燥した気候が
    あわず、喉をやられて高熱をよくだしていた。
    日本に比べると本当に乾燥しているので、喉の弱い人には
    しんどい気候かもしれない…。
    でも、主人のようにとくに喉が弱くない人は、
    べたべたしない気候をすごく気に入っていた。

    さっそくホテルへチェックインし、ビーチへ散歩することに。
    この時ハワイは雨季の季節で、旅行代金が安かったのだけど、
    その割には観光客がたくさんいた。

    ジョーがまだ小さいのは、ビーチでは泳がず散歩や、
    借りたレンタカーで島を一周したりして過ごしていた。
    家の中で一人で育児をしていると、一日がものすごく長いのに、
    こうして家族で旅行していると、一日はあっと言う間に終わってしまった。

    主人が絶対に行ってみたい!と言っていた、
    ダイヤモンドヘッド に家族で登ることにした。
    4ヶ月の息子がいても大丈夫だと言う旦那の言葉を信じて
    登ってみると…
    結構しんどかった。
    一人で登っている私でもしんどいのに、旦那はジョーを抱っこしたまま
    頂上ま登ったので、かなりの体力がいったんじゃないかと思う。
    久々の運動?を終えてみる景色は最高だった。
    今は4人家族になったので、今度は子供たちも自分達の足で
    ダイヤモンドヘッドに登らせようと思った。

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  • ★ジョー6ヶ月★(3月)

    子育てとは…言葉にできないほど、大変なもの。
    だと私は思う。
    大変だけど、愛おしいから育てることができる。
    そう思う。

    ジョーは6ヶ月になり、周りのお友達はお座りが
    出来るようになっていた時、ジョーは体重が約10キロもあり…
    まだ寝返りもできていない状況だった(笑)
    アメリカの小児科の先生は、検診のたびに、
    「この子は、頭が大きいね~っぷっ。」と笑うので、
    本気で「病気ですか?」と尋ねたこともあった。
    身長も大きかったが、とにかく体重が重たかったジョー。
    まさか母乳だけで、6ヶ月の赤ちゃんが約10キロにもなるとは
    想像もしていなかったので、正直、6ヶ月検診の体重を聞いたときには
    驚いた…。
    体重はあったものの、大きな病気もなかったので、
    里帰りをすることに決定。
    主人は仕事の都合が付かず帰れないということで、
    一人でジョーを連れて里帰りすることを決意。
    6ヶ月のジョーは、とにかくよくミルクを吐くので、大量の着替えが
    必要だった。
    それに加え、ベビーカーや毛布など…
    重なるものばかりが手荷物で必要になった。
    大荷物を抱え、空港まで主人に送ってもらい、3週間の里帰りのために
    飛行機に乗った。
    一番大変だったのが、荷物検査。
    ベビーカーも機械に通さないといけないので、
    荷物をまずは、台の上に載せて、
    次にジョーを抱っこ紐にいれて、抱っこ。
    その状態でベビーカーをたたんで、台の上に載せる。
    なんせ子供を抱っこしているので、どの作業も大変だった。
    優しい外国人男性が代わりに台の上に上げてくれて、
    なんとかその場を乗り切った。
    その検査だけで、もうクタクタ…
    これから10時間以上も飛行機で、2人きり…
    どうなるんだろう?と思いつつ、飛行機に乗り込んだ。
    この頃は、まだロサンゼルスから関空までの直行便が
    あったので、乗り換えがないぶん、助かった。
    いざ飛行機に乗り込む。
    案外すいていて、空席が目立った。
    私は乳飲み子を抱えていたので、一番前のベビーバシネットが使える
    席を予約していた。
    もちろん授乳もしなくては、いけないので、
    空席があるなら、助かるなあ~とおもっていた。
    自分の座席を探して座ると、そこには大きな外国人の男性が座っていた。
    授乳があるから、嫌だなあ~。。。とおもっていたら、
    客室乗務員の方が、その男性に他の席が空いているから
    異動しないか?と聞いてくれていた。
    しかし、答えは「NO!」だった。
    結局、他にもたくさん席が空いていたので、
    バシネットはないが、三席空いている席に移動させてもらった。
    そうすれば長時間の間、隣を気にせず授乳ができる!そう思ったからだ。
    授乳さえしていればそんなに、大きな声で泣き喚くこともなく、
    関空に到着した。
    関空には両親、弟家族とみんなでお迎えに来てくれていた。
    弟の車に乗りながら、迎えに来てくれたことを心から感謝していた。

    機内は狭いし、身動きがとれず、ジョーの面倒をみながら
    映画を見ることもできず…。
    すごく疲れていたので、気兼ねなく寝て帰れる弟の車は
    天国だった。

    この日から私とジョーの初!日本里帰りが始まった。
    ジョーは日本人なのに、初めての日本体験だった。

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  • ★日本滞在★(3月)

    まだ独身の頃、私は日常で運転をしていたので、
    日本の一時帰国も、普通に父親の車で運転するつもりでいた。
    しかし…私が長年育った家から、新しいマンションへ
    実家が引越をしていたため、久々の里帰りは
    初めての家だった…。
    運転があまり、得意なほうではなかったので、
    慣れない近所を、小さな子供を乗っけて走るなんて危ない!!!
    と両親に言われ、車に乗ることは断念した。
    平日は両親が仕事でいないため、どこにもでれず、
    友達が入れ替わり、会いに来てくれた。
    独身の友達ばかりだったので、みんな喜んで
    抱っこしてくれたり、するので私は少しの間、休憩させてもらい
    大分楽に過ごせた。
    長年育った日本。
    まるっきり日本人の私。
    なのに、なぜか少し違和感があった。
    実家が変わったせいもあるが、何かこう。。。
    言葉に言い表せない違和感があった。
    結婚して新婚生活も日本でできなままの渡米。
    妊娠、出産。
    すべてをアメリカで新しく始めてしまったせいで、
    私の中には、結婚してからの自分の生活が、
    日本の中で想像できなくなっていた。
    「そんな日本で何十年も育ったくせに!」と
    思われると思うが、本当にこの変な間隔は
    今でもまだ取れていない。
    日本滞在は、両親や友達にたくさんジョーを見てもらえて
    とても、幸せな時間だった。
    ロスへ帰る当日、両親と離れるのが悲しくて、涙がとまらなかった。
    いい年した大人が何をないているんだ!!!と
    何度も自分に言い聞かせて、ぐっと涙を堪えた。
    親。
    なんて偉大な存在なんだろう。
    海外で生活をしていなければ、これほどまでに
    両親のすばらしさを感じることができなかったのではないかな?
    と私は思った。
    両親と、ロスへ転勤させてくれた主人の会社に
    心から感謝している。

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  • ☆ジョー クループで入院☆(8月20日)

    一歳のお誕生日会は、盛大にする。
    そんなことをお友達から聞いたので、家族が大好きな中華やさんの
    個室を借りて盛大にジョーの一歳の誕生日パーティをしようと
    準備をしていた。

    ご飯のメニューも決め、ケーキもオーダーし、
    お友達に招待状も配り、準備万端!!!!
    二日前の夜、家族三人で寝ていたら、ジョーの様子がおかしい。
    咳??にしては、何か喉に詰めたような感じだった…。
    私は慌てて、何か詰めたんだと思い、必死に吐かせようとした。
    でも、何かが詰まっているのではなさそう、でもとにかく
    救急へと向かった。

    結果 「クループ」 と言う、喉の病気だった。
    即日入院になった。
    小さなジョーは泣きながらも、口サイズの加湿器をあてられ、
    嫌がるジョーを押さえつけての作業になった。
    主人と順番にジョーの口に加湿器をあてて、私はずっと抱っこしていた。

    このまま、続ければ必ずよくなると、わかっていても
    不安で不安でしょがなく、眠気などまったくなかった。
    少しづつ楽になったのか、明け方ジョーも寝てくれるようになった。
    寝ている間も、ずっと口付近には加湿器をあてていた。

    一日目の入院は、無事に?終え、ジョーの声も普通に戻って
    きたので、主人に次は誕生日会のあらゆるところへのキャンセルを
    電話でしてもらった。
    次の日の昼過ぎには無事に退院でき、家へと戻った。

    一歳になったばかりのジョーは、まだ言葉も少なく、
    あまり声を出さないので、本当に声がでるのか不安でしょうがなかった。
    二・三日と加湿器と薬を続けているとすっかり元の元気なジョーに戻った。

    このころの、ジョーはとにかくよく食べる子で、お皿に山盛り
    お子様カレーを食べていた。
    一歳二カ月のころ、お店でざるそばの大盛りを、お箸を使って
    食べているジョーをみて、周りのお客さんに
    驚かれた記憶がある。

    子供が病気をして気づいてはいけないのだが、本当に健康第一、
    毎日する悪さや、育児疲れは健康なわが子がいてこそだな。。。と
    気がついた出来事でした。

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2004年(平成16年)

  • 9月3日

    北朝鮮脱出者29名が北京の日本人学校に駆け込み

  • 10月29日

    ノロドム・シハモニがカンボジアの国王に即位

  • 11月20日

    APEC首脳会議、チリのサンティアゴで開催( - 21日)

  • 出典:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』
    更新日:2012年4月16日