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非公開非公開の自分史は、他の人からは見えません。

ミッチーさんが最近登録した自分史(更新順)

  • 念願だったポケベルを買ってもらう。(1996年12月24日|16歳)
    ミッチー

    学生にそんなもの要らない、となかなか買ってもらえませんでしたが、ついに高1のクリスマスにArkissのポケベルを買ってもらいました!


    休み時間や放課後、公衆電話に向かって無我夢中にメッセージを打ちまくったものです。


    男子校だったので出会いが無く、ボランティア活動に行った時に他校の女の子とベル友になれた時のトキメキは今でも忘れられません。


    ネットもまだほとんど普及してない時分、雑誌とかゲーセンにベル友募集コーナーがあって、かたっぱしにメモしたりして、ポケベルを手に入れたから、ととにかく出会い探しに必死でした。(笑)


    当時まだポケベルも携帯も持ってない人が多く、家電で連絡取る事のほうが多かったです。

    男子高生だった僕は、せっかく他校の女の子の電話番号を聞いても、親の存在にかなり悩まされました。

    暑中見舞いと年賀状がチャンス!と手紙送れる機会を待ったものです。
    今じゃ携帯メールで一瞬で済む事が・・・本当に楽になりましたね^^


























    更新日:2010年6月11日コメントする(0)

  • 世界最大のウォータースライダー(1993年7月22日|13歳)

    1991年頃~1995年1月17日(震災の日)まで、神戸の六甲アイランドにAOIAという、それはそれはビッグなレジャーランドがありました。

    ダイモンの秘境とかいう、洞窟みたいな所を冒険する所や、免許無いと乗れないゴーカートとかもあったと思います。

    そこに当時世界最大のウォータースライダー50本、全長700メートル(だったと思う)というあり得ないぐらい超巨大流れるプールがあった。

    中学に入って最初の夏休み、妹と母と僕の3人で夏休みに六甲ライナーに乗って遊びに行きました。
    入場料は確か5000円(笑) リストバンド貰うとウォータースライダーがすべり放題になります。まだ小さい妹と母は流れるプールに留まり、僕一人スライダーに挑戦に行きました。

    パイプラインのようなスライダーが50本乱立する中、いくつもあるらせん階段をひたすら上って行きます。

    初心者コースから上級者コースまであるらしく・・・

    初心者でも結構怖く、上級者コースになると水しぶきで前が見えませんでした。

    ジェットコースターが苦手な僕でしたが、このウォータースライダーは結構ハマりました。

    震災でAOIAの全ては夢のごとく消えてしまい、この規模のウォータースライダーはもうどこにも復活する事は無いかもしれませんね。







    更新日:2010年6月11日コメントする(0)

  • 誕生プレゼントは念願のファミリーコンピューター(1986年4月30日|6歳)
    ミッチー

    6歳の誕生日にして、自分専用のファミコンを買ってもらいました♪
    一番最初に買ってもらったソフトは、F1レースだったと思います。
    しかし喜んだのもつかの間、一日1時間の制限かけられてしまいました。。

    当時はよくおもちゃ屋さんの前にファミコンが置いてあり、子供の行列が出来ててよく並んでプレイしたものです。
    ディスクの書き換え機が置いてあり、いつもマリオとルイージの争いを固唾を飲んで見てました(笑)

    当時若かった両親や親戚、みんなファミコン好きだったのでこの後一気にゲームの所有本数が増えていき、それ目当ての友達?が10人ぐらいいつもうちに集まるようになりました。



    更新日:2010年6月11日コメントする(0)

  • 初めてのロールプレイング、初めてのミュージックアルバム。(1986年10月1日|6歳)
    ミッチー

    徒歩15分ぐらいの距離の場所に祖母の家があり、よく叔父に遊んでもらうために通っていた。お小遣いやお菓子目当てが大半だったが(笑)

    叔父の部屋である日留守番をしていて、何気なく本を取るとその後ろに隠すように一本のカセットテープが置いてあるのを発見!

    A面には当時全盛期だったおニャン子クラブの曲が、B面にはアニメのタッチの曲やおニャン子以外のアイドルの曲が入ったカセットテープだった。

    しかし叔父に、子供には関係無いとそのカセットを取り上げられた。
    見せてくれないと下の階にいる祖母に訴えようとした所、しぶしぶ貸してくれた。自分から音楽を聴くのは初めてで、カセットデッキにかじりついていた。
    お気に入りの曲はA面最後に入ってる「星座占いで瞳を閉じて」だった。
    無論、歌詞の意味はわからず何となくノリで聴いていた。


    同じく叔父の部屋で、今度は一本のファミコンソフトを発見。
    初代「ドラゴンクエスト」だった。

    子供には難しいゲームだ、と今度もやはり断られたので同様の手口でしぶしぶ見せてもらう事に成功する。

    それまでは横画面のアクションゲームしかほとんど知らなかったので、初めてのRPGに、出てくる言葉の意味もよく分からず困惑しながらも夢中になった。

    この後10年を通じてドラクエ6までお世話になる事になる。
    ちなみにFF派かドラクエ派かというと、迷いなくドラクエ派。












    更新日:2010年6月10日コメントする(0)

  • 引っ越し ~東京の成瀬から再び須磨へ~(1986年2月1日|6歳)
    ミッチー

    結局成瀬のアパートにいたのはほんの数か月間だけで、神戸に帰ってきて家が決まるまでしばらくの間、祖母の家で過ごす事になった。



    更新日:2010年1月13日コメントする(0)

  • 妹が生まれました。(1985年5月27日|5歳)

    5つ下の妹ができました。
    父と二人で病院に行き、一緒にガラスケースの並んでる所で妹を探したのを覚えています。
    四角い顔の赤ちゃんで、何とも図太そうね~、と周りが言っていた通り、僕とは違い図太い妹に育ちました。(笑)


    更新日:2010年6月10日コメントする(0)

  • 引っ越し ~須磨ニュータウンから東京の成瀬へ~(1985年11月1日|5歳)
    ミッチー

    母と、赤ん坊だった妹と3人で成瀬にあるアパートに引っ越す。
    電車好きな僕は新幹線に大興奮!
    まだ「ひかり」と「こだま」しか無く、食堂車もあった。

    青山のマンションで一人暮らしをしている父親が、たまにアパートに来てくれたり、マンションに遊びに行ったり、といった状況が続いていた。

    電車に乗ってすぐの町田へよく買い物に連れて行ってもらった。
    当時町田にはデパートの屋上が何箇所もあり、僕にとって町田は「屋上遊園の宝庫」だった。

    同じくいつも通る町田の喫茶店のガラスケースの中に、ノッポなグラスに入ったクリームソーダの見本が置いてあるのがいつも気になり、幾度にわたるおねだりの末、ついに喫茶店に入る事が出来た!

    が・・ノッポクリームソーダは幼い自分には扱いが難しく、速効バーン!とひっくり返し氷と共に無残にも飛び散る。
    だから言ったでしょ、と叱られ、以後この喫茶店に入る事は無かった。


    成瀬駅前にはショッピングセンターがあり、ここの2階にはゲームセンターがあった。 コインをすくい取るゲーム、ゴキブリのような絵の車が走るレーシングゲーム、ギャラガ、等など、ここでもいろんなゲームをやらせてもらった。

    この頃初めてサッカーボールを買ってもらったが、ほとんど新品同様のまま近所の公園でなくしてしまう。
    物をすぐになくすのはこの頃からだった。


    父と別居の間、母にはいろんな場所へ連れてってもらった。
    モノレール、遊園地、サンシャイン60、東京タワー、江ノ島等など・・

    母の趣味だったドラマのロケ地巡りにも付いて行き、「金曜日の妻たち」と「毎度お騒がせします」のロケ地に行った。

    毎度お騒がせします、の舞台になった多摩ニュータウンは須磨と似た所が沢山あり、切なくなった。 ホームセンターのような店? に初めて入り、すごい店だ!と子供ながらに感動した。





    冬、大雪が降った。 このアパートで初めての雪下ろし。
    父親が屋根に上り、僕は下で受け取っていった。

    温暖化で近年雪を見る年が少なくなったのが気になる所。














    更新日:2010年1月12日コメントする(1)

  • 我が家に電子レンジが届く!(1985年5月1日|5歳)

    電子レンジが届く!冷ご飯がまた炊き立てみたいに湯気が出るようになった事には、子供ながらに魔法みたいだ!とカルチャーショックを受ける。
    近所の母親の友達がよく家に来て、パンの共同制作をするようになった。

    その頃TVではハウスレンジグルメ♪のCMが頻繁に流れ、今も鮮明に覚えている。


    更新日:2009年12月22日コメントする(0)

  • 思い出の屋上ゲームコーナー。(1984年10月1日|4歳)

    神戸の少し郊外の街で育つ。
    駅前の大丸に当時屋上があり、買い物に連れてきてもらうと必ずと言っていいほど屋上に連れてきてもらった。「ちびっこ観光」というレールの上を走るバスやペットショップもあり、オウムを飼っているコーナーもあり、初めて鳥がしゃべってるのを目の当たりにして驚いたものだ。

    GAME OVER状態のポールポーションのハンドルをいつも握っていた。
    足が届かず父親にアクセルを踏んでもらいながら、実際にプレーしたが当時の僕には難し過ぎた。お金を入れた時の「コジンスタートデス!」というやたらでかい合成の声にビックリしたのも今となってはいい思い出。


    更新日:2010年6月10日コメントする(0)

  • 小学校入学(1987年4月8日|7歳)
    ミッチー

    須磨区にある小学校に入学。幼稚園時代からの友人N君母子と共に記念撮影を行う。
    背の順が決まり、予想以上に前のほうになった事にはショックを受けた。

    一方気になる女の子がいたが、その子は女子の中では背が高く後ろのほうに並んでいた。 この年にして、何となく高根の花を実感させられた。


    ちょうど同じ頃、地下鉄のアナウンスが国鉄線方面は乗り換えです→JR線方面は乗り換えです、に変わった。








    更新日:2010年1月13日コメントする(0)

  • ジェームス山の巨大迷路(1987年9月1日|7歳)
    ミッチー

    この頃空前の巨大迷路ブームで、日本中のあちこちにあの木造の立体迷路があったらしい。

    うちの近辺では「ジェームス山の迷路」が話題になっていて、両親がなかなか連れてってくれなかったので祖母に連れてってもらう事になり、N君母子と共にバスに乗りジェームス山へ。

    開拓中の住宅街にある巨大な空き地にそびえ立つラビリンス!
    ドラゴンクエストの虜になっていた僕は大興奮だった。
    (10数年後、この場所は普通にジャスコになっていた)


    スタンプラリーのようになっているのだが、N君母子はスムーズにスタンプを揃えてゴールイン。
    僕と祖母はいっこうに最後の一個が見つからず・・・壁のすぐ向こう側にポイントらしき場所が見えているのに・・・左右を確認後、下を潜り抜けて最後のスタンプをゲット!(思いっきり反則)

    パチンコ玉を転がす迷路のミニゲームをお土産に、帰りのバスで不正についてN君にブーブー言われ続ける。





    更新日:2010年1月12日コメントする(0)

  • 初めての四国上陸!(1990年11月1日|10歳)
    ミッチー

    小2の社会科の授業で四国という地名を聞いて以来ずっと行きたいと思っていた四国。 叔父を説得の末、ついに念願かなって四国へ!


    神戸の中突堤から高速艇で徳島へ上陸。
    バスで市街地に着き、とてつもなく古びたデパートの和食屋で定食を食べる。

    屋上へ出る通路の所に古い手打ちのパチンコ台が置いてあったのを覚えている。


    わずか数時間の後、再び高速艇で神戸に帰る。
    ちょい見だけで、ふーん四国ってこんなもんなのか~、と大きな誤解をする。


    徳島も2000年以降に訪れた時は再開発されてだいぶ奇麗な街になっていた。



    更新日:2010年1月13日コメントする(0)

  • 新しいハンバーガー屋さん、ウェンディーズ出現(1990年9月1日|10歳)

    ある日、兵庫のほうへ行くと言って家族4人で普段あまり歩かない殺風景な街を歩いていた。

    兵庫駅前に到着。この中にあるらしい、と少し古びた建物の中を歩いていると、そこには似つかわしくない外人の女の子の絵と英語の看板が目に飛び込んできた。

    これがウェンディーズの関西初出店だったらしい。ミーハーだったうちの両親は新しいものにはすぐに飛びつくのであった。

    当時としては変わったメニューがたくさんあったが、子供の自分としてはやっぱり食べなれたドムドムかマクドナルドが良かった。

    看板娘ウェンディーを遠目で見るとすごく怖い顔に見え、もう連れてこないで欲しい、と思った。

    大人になってからは結構ハマるようになったが、最近近所に店舗が無くなってしまった。










    更新日:2009年12月22日コメントする(0)

  • 9泊10日、四国1周自転車旅行決行!(1991年8月1日|11歳)
    ミッチー

    父と共に四国1周自転車旅行に出かける。当時はまだドロップハンドルが主流で、非常に珍しかった17段変速のマウンテンバイクを2台、三宮の星電社の自転車コーナーで揃えた。

    親戚の方の車の屋根に自転車を装着し、神戸港まで送ってもらう。
    そこからフェリーで徳島まで行き、そこから9泊10日の長旅が始まる。

    ユースホステルを転々としながら、9日後に終着地である高松に到着。
    母と妹とそこで合流し、旅館に一泊して最終日、出来たてホヤホヤだったテーマパーク「レオマワールド」へ。

    (その後レオマワールドは閉園したが、近年になって新しい経営者が「ニューレオマワールド」の名で復活させたらしい)


    高松駅前にて、電車に乗るために自転車をたたむ作業を行う。

    待合室で特急待ち。
    構内放送が雑音だらけで聞き辛かった。建て替え寸前のボロボロの駅舎だった。
    (10数年後、高松駅前近辺は再開発され、どこだかわからないぐらい奇麗な場所になっていた)








    更新日:2010年1月12日コメントする(0)

  • 午前5時46分、夢と現実の間で・・・(1995年1月17日|15歳)

    あの大震災の前日の16日夜、一家揃ってリビングでテレビを見ていると、ゆっさゆっさと家がかすかに揺すられるような感覚に襲われる。

    地震速報によると神戸で震度1(だったと思う)。

    大した揺れでは無かったけれど、関西に越してきてから地震というものの存在を忘れていたぐらい久々に感じた揺れだったので、何となく怖い気持ちになり、一人部屋に戻りベッドに横たわった後もしばらくは寝つけないでいた。

    そして翌朝、その時がやってきた・・・

    電車の中で椅子取りゲームをしてるような、変な夢を観ていたが、ふと電車の揺れ方がおかしいと思った。
    そしてふっと目が覚める・・・すでに嵐が吹き荒れるような猛烈な揺れの中にいた。母親の悲鳴が聞こえる・・夢?違う!本当に揺れてる、、現実だ!

    揺れが収まり、父親が「震度4ぐらいや、大丈夫や」と家族をなだめる声が聞こえる。

    停電でどうにもならない状況だったので、外に出て車に乗りラジオを付ける。
    神戸で震度6!というアナウンスに耳を疑う。

    祖母の家に行くと、電気がすでに復旧していてテレビを見ているところだった。 ついこないだ買い物に行った三宮がガレキの山と化しているのが映っている。

    家族もみんな身内は幸いにも無事だった。







    更新日:2009年12月28日コメントする(0)