非公開非公開の自分史は、他の人からは見えません。

alidoroさんが最近登録した自分史(更新順)

  • 息子のテレビ出演(2011年8月27日|80歳)
    alidoro

    「現代文明を1000年先の未来へ」(8月27日放送) ゲスト:黒田忠広(慶応義塾大学教授)とBS11で出演した。生島ヒロシさんも1975年 カリフォルニア州立大学ロングビーチ校、ジャーナリズム科卒であることは後で知った。


    息子が東芝時代に1988年から1990年までカリフォルニア大学バークレイ校にて客員研究員としてLSI CADを研究に携わっていた。また。現在は米カリフォルニア大学バークレイ校の客員教授をしていることも、本人から何も聞いていないがうすうす知っている。


    デジタル化社会の現代、多くの映像、文章などがデジタルデータとして保管しているが、そのデータは劣化しないという反面、長期保存が出来ないという現実がある。もし、既存のメディアで1000年先まで保管しておくにはおよそ10年おきにデーターを書き換えていかなければならず、現実的には不可能だ。


    しかし、常識を覆す発想でデータを1000年保存することが現実味を帯びてきた。現代文明を1000年先に残す可能性を探る。


    息子がこんな内容で夜の7時半から30分間ほど、テレビで語っていた。私は高1の孫娘から「今、パパがBS11に出演しているよ」と東京からの連絡でテレビに息子が生島さんと話していたのを見てびっくりした。日経新聞、読売新聞で息子の記事を見たことはあるがテレビで見たのは初めてで親としは嬉しかった。



    更新日:2011年9月3日コメントする(0)

  • 32インチハイビジョンテレビを買った(2011年6月12日|80歳)

    地デジ化カウントダウン。アナログ放送終了まであと42日となった。今日、ハイビジョンSHARPの32インチテレビを34.700円で購入した。


    今、使っているSONYの26インチは2005年(平成17年)12月26日に14万円で購入している。あれから5年6ヶ月が経過した。


    先日、テレビで流通ジャーナリストの金子哲雄さんが32インチが一番おとくでこの値下がりしている今が一番お得と言っておられた。6月いっぱいが安い。7月になると高くなると言われた。


    それも土曜日か日曜日に買うこと。とくに日曜日が狙い目と言われた。雨の日は客足がにぶるので値下げ交渉できるというものだった。


    ①パナソニックは省エネ性能がすぐれている。②TOSHIBAは画質が綺麗でリモコンのボタンが大きい③SONYはLEDライトを使っている。


    僕が今日、買った先着5名だったがすぐに売れきれた。わが家でも古いテレビが2台あって1台は引き取って処分していただくことになった。あと1台はチューナーの設置で使えるようだ。



    更新日:2011年6月12日コメントする(0)

  • 自分史の記録をたどる(2011年6月10日|80歳)

    今から4年9ヶ月前の2006年09月22日のブログに下記のように書いていた。こんなころから自分史を作りたいと思っていたことは確かです。


    わが人生の記録、自分史を執筆してみよう
    自分史を書いてみようと思っていたら自分史年表が売られていたので買ってきた。ところが私の日記は昭和32年(1957)から書き始め昭和43年(1968)から昭和52年までがまったく書かれていない。つまり仕事に忙しくて日記を書く時間もなかったのです。昭和53年(1978)から今年までは毎年、日記に書き綴ってきた。



    幼少のころから大学卒業し結婚するまでも記録もない。そんな中で回想、工夫して自分史をまとめることにした。左ページに時代考証の社会的出来事が並んでいる。自分史をまとめるということは或る程度の記録がないとすらすらと書けるものでない。



    日記が書けなかった学生時代や仕事が忙しくてヒマがなかった頃ほど書きたいものだがなんとか創作してみるしか仕方がない。眠る記憶を手繰り寄せ、新たな思い出の扉が開くのも楽しいことと思う。思い出を書き込むだけで脳が若返り、自然にプライベート史料が出来上がる楽しみもある。



    自分史には特別な決まりもない。自分のこれまでを振り返って書き残しておきたいことを自由に書けばよい。何十年も当用日記をかいているから、それほど苦にもならない。誰でもこうした回想録を書きたいとおもっている。資料などなしでスラスラは書けない。文章を書くには精神の集中が必要です。自分しかできないのが自分史執筆だ。




    更新日:2011年6月10日コメントする(0)

  • ツイッターの登録(2011年5月28日|80歳)

    何もわからないままにツイッターの登録をした。aka144です。まず共通の趣味・関心を持つTwitter仲間を探すことである。ツイッターをさらに楽しく、便利に使うことができるツイナビで、お気に入りのアプリを探そう!

    更新日:2011年5月28日コメントする(0)

  • ブラジル・サンパウロからのラジオ深夜便(2011年5月19日|80歳)

    ラジオ深夜便、午前2時台 〔ロマンチックコンサート〕 ブラジリアン・ポップス集。ブラジルの水彩画、イパネマの娘 ほかを聞いて寝ていた。 音の風景はブラジルのSL風景でした。ブラジル、サンパウロ市の北に位置するカンピーナス市には、およそ、90年前にアメリカで作られた蒸気機関車、「マリヤフマサ」号が今もブラジルで元気に走り続けています。


    午前3時台 〔にっぽんの歌こころの歌〕 ふるさとへの想い日本の心の歌(サンパウロ市民参加のリクエスト)は、①和田あき子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」②春日八郎の「別れの一本杉」③花 作曲:瀧 廉太郎④織井茂子の「君の名は」⑤藤山一郎の「影を慕いて」⑥吉 幾三の「津軽平野」⑦童謡「月の砂漠」⑧ジャッキー吉川とブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」の曲が流れいた。


    毎朝、聴いているラジオ深夜便、地球の裏から日本に向けて放送された深夜便を二夜連続で聴くことができた。



    「月 の 砂 漠」


    1 月の砂漠を はるばると
    旅のらくだが 行きました
    金と銀との くら置いて
    二つならんで 行きました


    2 金のくらには 銀のかめ
    銀のくらには 金のかめ
    二つのかめは それぞれに
    ひもで結んで ありました


    3 先のくらには 王子さま
    あとのくらには お姫さま
    乗った二人は おそろいの
    白い上着を 着てました


    4 ひろい砂漠を ひとすじに
    二人はどこへ いくのでしょう
    おぼろにけぶる 月の夜を
    対のらくだは とぼとぼと
    砂丘を越えて 行きました
    だまって越えて 行きました

    更新日:2011年5月19日コメントする(0)

  • SKYPEで交信した世界の都市(2011年5月18日|80歳)
    alidoro

    私のSKYPEで交信した世界の都市

    ニューヨーク、パリ、ベルリン、コペンハーゲン、シンガポール、プノンペン、サンディエゴ、オークランド、ミラノ、クアラルンプール、ウエリントン、香港、西安、青島、北京、大連、天津、ドュッセルドルフ、シドニー、ジャカルタ、アデレード、ハンブルグ、シンセン、ムーラ、ラスベガス、サラマンカ、バンクーバー、セントルイズ、ホーチンミン、ハノイ、デトモルト、マサセッチュセッツ、シリコンバレー、ホノルル、カリフォルニア州のフレモント、マニラ、バングラデシュのダッカ、スウェーデンのルンド、 スタンフオード、ハワイのワイキキ、ストックホルム、オハイオ州クリーブランド、シアトル、メキシコのモンテレ、ソウル、オレゴン州のポートランド、アメリカのNewport Beach、メキシコシティ、韓国の釜山、モロッコのモハメディア、オーストラリアのパース、ベルギーのルーベン、ブラジル、チリーのラス・コンデス、グアム島、Redwood-city(サンフランシスコ郊外)、チェコ、サウスカロライナ、上海、ロンドン、チェンマイ、サンホセ、シアトル、ヒラデルフィヤ、カリフォルニアのサンタクルーズ、エジプトのカイロ、温州、台北、広州、ローマ、中南米コスタリカの首都サンホセ、コートジボワール(象牙海岸)共和国のアビジャン、ネパールのカトマンズ、イギリスのカンタベリー、サンフランシスコ、ポーランドのワルシャワ、インドのバンガロール、アフリカ・ケニアのナイロビ、スェーデンのエーテボり、ブルガリアのソフィア、スペインのバルセロナ、南アフリカのヨハネスブルグ、南米ウルグアイのモンテビデオ。ドイツのデュースブルグ、ルーマニアのブカレスト。写真はスカイプで交信したニュージーランドのFarrellさん

    更新日:2011年5月18日コメントする(0)

  • 何事もホドホドがよい(2011年5月17日|80歳)

    「何事もホドホドがよい」これは僕にとってはぴったりの好きな言葉です。僕は何事もきちんとするのが苦手です。ほどほどにすます人間です。徹頭徹尾するのが嫌いです。僕は完璧するのが嫌いだし完璧にはできない。 忍耐力がないと言えばそれまでですが、ある程度のことが出来ればそれでいいやと自分に甘いのです。ほどほどにすますほうです。


    長男は僕には似ていなくて母親に似ている。完璧100点主義です。 どうも僕に似ていなくてよかったと思う。ところが次男は僕に似ている。血液型は長男と母親が同じで次男と僕は同じです。やっぱり血液型は正直に反映していると思う。



    コラムニスト天野祐吉氏が朝日新聞CM天気図(平成21年1月13日付け)に「いい加減がいい」という記事を書かれている。風呂の湯加減じゃないが、いい加減がいちばんだ。この半世紀、ぼくらは働きすぎた。 豊かさを測るモノサシは、カネ尺だけじゃない、ヒマ尺も必要だ。職を失うのはもちろん困るが、働きすぎもいい加減にしなくてはいけない。



    ヒマすぎるのも考えものだが、ヒマ人がいないような世の中は、とかくギスギスして、ロクなことはない。 隙人(ひまじん)7や蚊がでたでたと触れ歩く (一茶)



    また鎌田 実氏が「いいかげんいい」という著書を出している。また鎌田氏の本「がんばらない」がベストセラーにもなった。 無理しない、こだわりすぎない、よくばらない、つっぱらない、頃合いに、融通をきかせる、ほどほどに。と書かれていた。



    更新日:2011年5月17日コメントする(0)

  • 趣味あれこれ(2011年5月16日|80歳)

    趣味は多いほどよいかというと私は違うと思う。 それほど好きじゃなくても 「私の趣味は○○です」と簡単に言う人もいます。 聞いたほうも「あ、そう」と軽く言う。 昨日始めたことでも趣味として通用するのは私はちよっとどうかと思うのです。




    何十年も年季が入ったものが本当の趣味だと思うのです。昨日今日始めたものを趣味の範囲に入れるのはおかしいではないか。 道楽として長年やってきた人に失礼だと思う。でも世間では「趣味です」といえばたいがいのことは許すのです。



    趣味について相手に聞く場合、以下に英文でも書いてみよう。趣味はいろいろあります( I have many hobbies.) 私の趣味は焼き物の収集です(My hobby is collecting pottery.)庭いじりが好きです(I like gardening.) 史跡を訪ねるのが好きです(I like to visit places of historical interest.)




    寝転がってマンガを読むのが好きです(I like to lie around and read comic books.)ラジオを聞くのが好きです(I enjoy listening to the radio.)温泉旅行が好きです(I enjoy touring the hot-spring resorts.)スキーによく行きます。私の大好きなスポーツです(I go skiing a lot. It\\\\\\\'s my favorite sport.)なにかに夢中になれたらいいと思います。 今のところ何も趣味がありません。(I wish I could be enthusiastic about something. I\\\\\\\'m just not really interested in anything at the present time.)相手に趣味を聞くときは英語なら次のように表現します。



    趣味はなんですか。 What are your hobbies?
    あなたは何をするのが好きですか。 What do you like to do?
    暇なときには何をしていますか。 What do you do in your free time?




    趣味をもつ人は大勢いるが趣味に「のめり込む人」もいる。 趣味にのめり込んで破産した人もいます。 でも自分の財力の範囲ならいいじゃないか。 道楽が高じて破産すると周囲の家族などに多大の迷惑をかける。 しかし、これが本当の趣味だと思う。



    私も若いころから38年もアマチュア無線に没頭していた。僅か50ワットの空中線電力で世界各地と交信しQSLカードを集めて喜んでいた。 衛星通信でアマチュア衛星を追っていた日々は実に楽しかった。 世界中にJA2KPRのコールサインを電信で打ちまくったものです。



    趣味が高じて道楽になると危険も伴う。 破産もしかねないからです。
    パチンコにのめり込んだためにとうとう破産した人もいた。 海外旅行が好きな人は借金してでも旅行するだろう。アドバルーンにのって海外に飛び立ったまま行方不明になった人もいた。



    マーメード号で太平洋無寄港世界一周の一人旅をした堀江謙一さんの場合は趣味といえば趣味だし道楽といえば道楽でもある。 そして命を賭けたものです。堀江さんにとっては成功したときの愉しみは壮絶で誰にもわからないだろう。生き甲斐というものだろう。



    多趣味の人はそれはそれでよいと思うが外国生活と仕事を両立させ、悠々自適の老後を送っている大橋巨泉は私より3つ年下の77才ですが自らの多趣味について「広く浅く始めて、いくつかにしぼってきた」と書いている。



    後半生を楽しむには、屋内外に最低一つずつの趣味が必要だと彼の著書に書かれている。「巨泉・人生の選択」。若いうちはあれこれかじり、体や懐と相談しながら「生涯の友」を二つ三つ選ぶ。巨泉はジャズとゴルフらしい。


    更新日:2011年5月16日コメントする(0)

  • 老人の悪徳(2011年5月15日|80歳)

    老年の悪徳として強欲、乱脈、虚栄などが挙げられる。強欲はこれら三つの悪徳のなかで最悪のものである。男であれ女であれ、大勢の老人たちが、費う見込みもないのに、時には相続人さえいないのに、あくまでも金を貯めこもうとするのは、どうしてなのだろうか。


    そういう人たちは安売りの食べ物しか食べず、衣類は決して買わず、もっと良い住居に住むこともできるのに狭い一部屋で暮らしていたりする。そして老人が一人ひっそりと死んでいるのが発見され、預金通帳や株券が発見されたたぐいの新聞記事を読んだことがある。



    反対に老人ががらくたを集めだしゴミ屋敷に住むのはどうしてだろうか。がらくた集めの理由の一つは整理する気力がなくなったと考えられる。これとは逆に老人になると極端に整理整頓に励む人もいる。もう二度と使うことのない道具を大事に部屋に置いたり、ただの紙屑までも大事に保管している人もいる。こうした過度の整頓もまた、老年の悪徳の一つです。



    老人の虚栄。過去の経歴にこだわる老人がいる。昔、運動選手だった人ならトロフィーをずらりと応接間に並べ、年に一度はカップを磨いたりする。客がくると無邪気な自慢話をする。また会話の中に昔のことを自慢して口にだすようになる。



    私も老い先がもう永くないことは確実です。日本人男性の平均寿命は79歳です。そして79歳8ヶ月になった。過去よりも未来のことを考えるべきトシです。百歳以上も生きる人たちは長命の家系にあるのです。私の家系では88歳までにみんな死んでいる。 いくら努力しても長命者の仲間には入れないのです。



    老人たちは邪魔者扱いされるのが普通です。老人の痴呆は一般的な現象でもなければありふれた病気でもない。孫自慢は良く聞きます。自分も孫の成長がとても楽しみです。八十近くになると視界が次第に狭まっていく時期であって、そのことは万巻の書を読まなくても理解できる。私も白内障です。旅行もむずかしくなり車を運転するのも二の足を踏むようになってきた。



    更新日:2011年5月15日コメントする(0)

  • 定年後をパソコンと暮らす(2011年5月14日|80歳)

    定年後をパソコンで充実させた22人をルポした本、ノンフィクション作家である加藤仁氏が書いた本「定年後をパソコンと暮らす」を読む気になったのは本のタイトルが私にぴったりであった。


    著者とは目黒に住んでいたときに某放送局を通じて「どのようにして定年後を地域社会で生きていくべきか。また定年への助走についても話したことがあった。



    この本は四日市市立図書館に問合すと置いてないとのこと。そこで近くの書店で取り寄せた。暮らしの道具としてのパソコン活用法について人生のベテランたちは何を語っているかは興味深々で私が一番知りたいことでした。



    定年後、組織から離れ個人としてよりよく生きるために大切なことはなにか。
    パソコンの操作やインターネットの利用を人はどのようにしているか。 この本はこれらの疑問に答えてくれる。



    この本の「第三章 毎日が情報発信」があり興味があった。旅行記録のホームページ、アクセス数は九万三千。ホームページ作成の達人、美しい動画は五つ星評価。日本三百名山征覇の後も、日々更新中の登山記録。など興味津々です。また「第四章 独創的リハビリテーション」を読んでパソコンがリハビリテーションに役立ったこと。脳卒中後の失語症をパソコンで克服した記事などは参考になります。



    ※加藤仁著 「定年後をパソコンと暮らす」は文春新書で発行されている。単行本で税込756円です。



    更新日:2011年5月14日コメントする(0)

  • 山田 進さんの思い出(2011年5月13日|80歳)
    alidoro

    山田進さんは「南丘ラジオ体操会」と「笹川パソコンサークル」でお世話になった。いつも奥さんとご一緒でした。元気な人でハワイマラソンなどに参加したり、冬はよく走っておられた。その元気な山田さんがガンで亡くなられたことを知り、僕はびっくりした。 入院されていたことも知らなかったのです。 「トパーズ号で世界一周してくるよ。途中でメールするから」と言って別れたのは、いつものようにラジオ体操した後でした。



    世界一周船旅から帰国されて3ヶ月後に亡くなられた。 僕が悲報に接したのは奥さんが一人、ラジオ体操に来られ「実は主人は亡くなりました。お別れもすませました。ガンでした。主人が作った「船旅スケッチ帖」をぜひ受け取ってほしいといわれた。山田さんから僕への無言のプレゼントとのこと。山田進さんは京大農学部卒のエリートでした。



    僕の親戚で故人になった元京大農学部教授のを話をしたり植物の話を聞かせてもらったりした。でも山田さんがこんな素晴らしいスケッチをしていたとは知らなかった。 いま息子さんが名古屋大学を卒業しNHKに入局されて技術者として活躍されている。 美しい奥さんや息子さん、お孫さんに見守られて天国に召された山田さんをしのびご冥福を祈りたい。



    「地球一周夢つむぎ」~ピースボートに再乗船して~あまはね きこ (本名 西野紀子)著。


    山田さんの奥さんから、この本をいただき読んでいると山田さんと一緒に船旅をしているようだった。単なる紀行文ではなくそこには約百日間かけ数々の寄港地を巡り夢のような体験が綴られていた。38ページに山田さんのベトナム・ダナンでのスケッチ画が掲載されていた。


    更新日:2011年5月13日コメントする(0)

  • 東京わくわく散歩(2011年5月12日|80歳)

    東京23区をどのようにしたら「わくわく散歩」出来るだろうか? とりあえず電車で渋谷まで行った。渋谷は人で込んでいた。 私がはじめて東京に来たのは20代学生のころだった。どこをどう歩いたか覚えていない。そのころ私は大学3年でした。銀座や新宿など繁華街をそれこそわくわく散歩していたかも知れない。



    次に小さな子どもをつれて丸の内ホテルで泊ったとき子どもたちがはしゃぎすぎて
    ホテルマンから静かにするように言われたのを覚えている。次に来たときは長男の大学受験だった。新宿の高層ホテルで宿泊した。慶大近くの日本旅館に泊ったりした。次に東京にきたときは次男の大学受験に付き添って来たときだった。そのときは中野サンプラザーで何泊かした。




    長男が東大に入り私も武道館での入学式に父兄として参列した。妻は入院中だったから私は息子と二人で上京していた。次男が目白の学習院に入学するときも私は元気になった家内と東京にやってきた。




    何年かして私は西宮から練馬区豊玉に転勤し、私の東京生活がスタートした。そのとき妻は次男と練馬区石神井にいた。 豊玉から石神井は近いので休日ごとに会えることになったのです。それから私は渋谷にうつり住むようになり、渋谷から銀座に通勤していた。 更に大阪に転勤、また2年後には東京の目黒区碑文谷に住むようになった。




    東京でわくわく散歩できるのは、学生か東京で仕事しているサラリマーンか定年後自由になってからです。今は新幹線で東京日帰り旅行だってできる。一日で秋葉原、新宿などまわってこれる。 わくわく散歩は都バスと地下鉄一日乗車券で、あまりお金をかけずにてくてく歩くことです。



    服装は散歩に適したジーパンやズック靴でよい。カメラ片手に歩く。 都バスは乗換えるときがちよっと大変です。 バス停がわからないときは近くの人に聞くか、バスの運転手さんに聞くしかないのです。都バスは一日乗車券がよい。いちいち小銭をだす手間が省ける。地下鉄もバスと共通一日乗車券がよい。



    私は10年も東京に住んでいた。それも練馬、渋谷、目黒と都心にいたから東京の人より地理には詳しくなった。休日にはいろんなところへでかけた。最初は電車で東京の主なる盛り場へ。雑踏を歩くのが楽しくなります。次に単車で秋葉原や主なる公園、植物園をまわった。図書館めぐりもした。隅田川の花火大会などにもでかけた。




    これは一人で東京に住むと自由がきく。誰からも束縛をうけない。東京わくわく散歩するには仲のよい友達、家族と歩くのもよい。デパートめぐりだって楽しいかもしれない。私はなぜか大学キャンパスが好きでした。東大五月祭などへでかけた。わくわく散歩はカメラを持って撮りまくろう。日記に歩いたことを記録しょう。いつかきっと参考になります。




    更新日:2011年5月12日コメントする(0)

  • 英文メールの作り方(2011年5月11日|80歳)

    1.必要最小限のことだけ書く。


    ① 分かりきったことは書かない ② 季節の挨拶や外交辞令は省略する ③無駄な副詞や形容詞もバッサリ削除する④ 省略可能なみのは省略する


    2. トップダウンで書く。


    snail mailだと季節のご挨拶から入って、相手の体調なとを尋ねたりして、その後におもむろに本題に入るがe-mailは重要なことから順に書いていきます。



    3. ビジネス・メールの場合は悪い知らせも単刀直入に書く。
    一秒一刻を争うビジネスの世界では、悪い知らせは前置きなどせずに即、伝えることです。サブジェクトにUrgentと書いてもよいのです。



    4.「返信」をクリックして返事を出す場合。
    相手のメッセージが長かったり、添付書類があったりする場合は、それを削除して、自分のメッセージだけを送る



    「返信」をクリックし、次に「編集」から「すべて選択」、「切り取り」の順にクリックするだけですから、大した作業ではないがこれをしない人が多く、長いメッセージをダウンロードするには時間がかかるので、相手にとって迷惑です。




    更新日:2011年5月11日コメントする(0)

  • 好きな法句経の言葉(2011年5月9日|80歳)

    愚かな者を道づれとするな 独りで行くほうがよい 独りで歩め 「ダンマバダ」。人生の真実を求める修行は、群をなしてはせず、独りで孤独に耐えながら求めるべきだという教えです。


    「法句経」60番の言葉
    眠れない者には 夜はとても長い 疲れきった者には 道はとても長い
    愚かな者には 一生はとても長く 人生の正法をついに知ることはない



    『解説』「法句経」は「ダンマパダ」という原始経典で、パーリ語で書かれた、最も有名なお経です。ダンマは「法」で、人間の真理という意味、パダは「ことば」です。「真理のことば」とも訳されます。



    全編短い詩です。 口に出して読めば心が静まります。
    「愚かな者」というのは、頭が悪い者という意味ではなく、人間の生き方や人生の意味について真剣にかんがえようとしない者のことをさしています。



    「法句経」48番の言葉
    花を摘むのに夢中になっている人が、まだ望みを果たさないうちに、死神がかれを征服する。人生の花、つまり欲望の対象を手に入れようとして、夢中になり、まだそれが手に入らないのに、死神がその人を征服しさっさとさらってしまう。



    「法句経」5番の言葉
    この世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。 これは永遠の真理である。



    『解説』中国には「怨みに報いるに徳を以てす」という言葉があります。地球に平和をもたらすには、この言葉をすべての人が心に刻みつけるべきです。


    更新日:2011年5月9日コメントする(0)

  • モノの見方(2011年5月7日|80歳)

    きょうは吉原珠央が書いた「人とモノを自由に選べるようになる本」を読んだ。
    「一日100個の「すごいこと」を発見できる人になろう」とある。


    「朝起きてからのすごいこと」→手足が動いた。光を目で感じることができた。音が聞こえた。体が温かかった。まっすぐに立つことができた。歩くことができた。ケンカや事件に巻き込まれなかった。家族と気持ちよく挨拶できた。最寄り駅まで交通事故にあわずに無事にたどり着けた 等々。



    もし、朝起きて目を開けたのに視界が真っ暗だったら、どうでしょうか? 私たちは、毎日過ぎ去っていく日々を、いかに「すごすこと」だと感じずに生活しているかがわかります。


    この「すごいこと」を感じることができると、それだけで「自分は恵まれている」「幸せなほうだ」と思うことができて、おおらかな気持ちになれる。こんなふうに自分を客観的に見ることができると、モノの見方が広がります。






    更新日:2011年5月7日コメントする(0)

  • タンポポのたくましさ(2011年5月6日|80歳)

    国際政治学者の本「タンポポな生き方」を一通り読んだ。
    タンポポは多年草ですから、一年でその生を終えることはなく、深く土の中に根を張り、冬の寒さにもじっと耐えて春を待ちます。ヒビの入ったアスファルトの割れ目などから、ヒョロリと首を持ち上げて咲くタンポポを見ると「頑張っているね」と思わず声をかけたくなると先生は言う。


    インターネットばかりに頼らないで自分で調査してむ判断する能力を付けなければダメです。さまざまな体験や勉強をして、トレーニングを積んでいくことだと書いてある。猪口先生の母の実家はお寺だった。「般若心経」はスラスラと出てくるそうだ。



    自分の知らない人と出会うことで自分の知らない世界がどんどん広がっていくのです。タンポポは仲間を増やすためにあらゆる努力をしている。


    どんな天候でも、どんな場所でもね生き延びるタンポポの強い生命力。 雨が降ろうが風が吹こうが、人が見ていようがいまいが、どんなところでも咲く。人間もタンポポのように生きられたらいいと思う。



    人に注目されてもされなくても、陰日向なく花を咲かせようとする、そういう人になってほしいと先生は書いている。波乱万丈な人生を歩んだ山村耕造さん、日米修好に尽力したジョン万次郎、農協職員から県知事になった浦島郁夫さん、タンポポハウスに住む藤森照信さん、イナバウアーが印象的な荒川静香さん、ノーベル賞の下村脩さん、富士山でゴミ拾いをする野口健さん、「奇跡のリンゴ」栽培に成功した木村秋則さんの話など書かれていた。



    高校生になった孫にもタンポポのようにたくましく生きることを教えてやりたいと思う。

    更新日:2011年5月6日コメントする(0)

  • 「迎撃せよ」を読む(2011年5月2日|80歳)

    福田和代の著書「迎撃せよ」を読む。この本は新刊で自動車文庫で借りた。早く読まないと期日がくるというので一気に読む。


    迎撃せよ「明日夜二十四時、我々はミサイルを日本の主要都市に撃ち込む」。官邸に送られたメッセージ。猶予は三十時間。


    航空自衛隊岐阜基地から、XASM‐3ミサイル4発を搭載した戦闘機F‐2が盗まれた。緊迫が高まる中、送りつけられてきた犯行予告動画。ミサイル防衛に携わる航空自衛官・安濃将文は戦慄した。俺はこの男を知っている!


    意外と読みやすい本です。著者の福田 和代 氏は1967年、神戸市生まれ。
    ハードSFを愛するあまり神戸大学工学部に進むが、途中でミステリ(冒険小説)に転向した。

    更新日:2011年5月2日コメントする(0)

  • 大人買い(2011年5月1日|80歳)

    僕は大衆向けの安い服を着ている。オジさんくさい格好したくないから、くたばれた服を着て貧乏たらしくみえるのは嫌である。


    着心地がよくて安いユニクロの服も買う。高価な服は買えないからである。ユニクロだったら何枚買ってもよいからと同じものを二着三着と買う。これを大人買いというそうだ゛。


    着られなくなつた服が部屋にどんどんたまる。そのうちにクローゼットの中や押入れ、タンスの中が「まだ着られるのにもう着られない」という類の服に占領されている。

    更新日:2011年5月1日コメントする(0)

  • メモする習慣(2011年4月30日|80歳)

    このごろ1日2万歩ウオーキングが復活した。

    夜明けが早くなって一日かかって2万歩だから早朝に頑張っておけばできないこともない。なかなか夜が明けない冬と違ってこのごろは4時半で明るくなってきます。起きてすぐにジュースを飲む。すばやく着替えて歩く。


    早朝に1万5千歩を歩いておくと後は楽です。7時の朝食までにラジオを聴きながら、ラジオから流れる歌など聞きながら、メモとりながら歩く。ニュースや歌の曲名などちょっとした一口メモをとるようにしている。



    なぜ、そんなにまでしてメモとるか? 日々ブログを書いていくのにラジオから得るものが多いからです。また、歩きながら考えついたことをすばやくメモる習慣にもなる。歌、ニュースなどその場でメモをとって、後でブログに反映さすようにしている。



    あとで詳しく検索もできるからメモ程度でもいいときがある。歌の曲名、歌手名をメモする。歌手名なんかあとで検索すると正しくわかることがある。むつかしい外人名なんか検索してみてはっきりわかることもある。 でも朝食の7時までに1万5千歩を歩くことはそう簡単にはできない。途中で10分間のラジオ体操もある。


    ウオーキングするにも5月は最もいい気候です。1年のうちで一番快適に歩ける月に頑張りたい。朝起きるのも苦にならない。早朝の散歩は快適です。午後はなんとなく疲れる。早朝散歩と午後の散歩ではまるきり違う。


    更新日:2011年4月30日コメントする(0)

  • 昭和の日(2011年4月29日|80歳)

    今日は「昭和の日」。ラジオ深夜放送で“昭和の日”:タイトル“昭和”の歌アラカルト。①昭和枯れすすき、②昭和最後の秋のこと、③昭和ブルース、④昭和の子ども、⑤昭和のはじめのあの頃は、⑥昭和女ブルース、⑦昭和の歌など聞きながら、⑧昭和、⑨昭和モダンの以上9曲を聴いた。 なかでも「昭和枯れすすき」や「昭和の歌など聞きながら」の曲が好きです。



    「昭和枯れすすき」



    貧しさに負けた
    いえ 世間に負けた
    この街も追われた
    いっそきれいに死のうか
    力の限り 生きたから
    未練などないわ
    花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき

    踏まれても耐えた
    そう 傷つきながら
    淋しさをかみしめ
    夢を持とうと話した
    幸せなんて 望まぬが
    人並みでいたい
    流れ星見つめ 二人は枯れすすき

    この俺を捨てろ
    なぜ こんなに好きよ
    死ぬ時は一緒と
    あの日決めたじゃないのよ
    世間の風に 冷たさに
    こみあげる涙
    苦しみに耐える 二人は枯れすすき




    「昭和の歌など聞きながら」



    他人を妬(ねた)まず 羨(うらや)まず
    心を豊かに 朗らかに
    そんな人生 送れよと
    父さんあなたは 云っていた
    熊蝉(くまぜみ)しぐれが 終ればまた秋が
    今年の彼岸は 帰ります
    会いたいね 飲みたいね
    昭和の歌など 聴きながら

    自分を奢(おご)らず 慎(つつ)ましく
    涙は静かに 清らかに
    そんな女で 暮せよと
    酔うたびあなたは 云っていた
    秋桜(コスモス)咲く頃 主人(あのひと)また連れて
    ふたりで彼岸は 帰ります
    会いたいね もう一度
    昭和の歌など 聴きながら

    熊蝉(くまぜみ)しぐれが 終ればまた秋が
    今年の彼岸は 帰ります
    会いたいね 飲みたいね
    昭和の歌など 聴きながら



    更新日:2011年4月29日コメントする(0)

  • ゴルフに行くより公園を歩く(2011年4月28日|80歳)

    健康維持において必要なことは適度な運動です。適当な運動というのは、軽くて持続的であることが大事です。時々突発的に激しい運動をするのはよくない。



    私は毎朝、2時間ほどかけて公園など散歩しています。その途中で10分間のラジオ体操を仲間たちとする。ラジオ体操第一と第二をする。早朝に万歩計つけて携帯ラジオとメモ用紙とボールペンを持って歩く。



    ラジオから流れる歌の曲名をメモする。公園にあるアメダス四日市に立寄って気温、湿度、風速をメモする。ラジオから健康の話、ニュースなどをメモする。立ち止まってすばやくメモします。



    これらのメモはブログを書くときに役立ちます。天候の悪い日は努めて家の中で動く。家財道具の間を歩く。いろんなモノが置いてあるから部屋の中を歩くときもぼんやり歩けない。部屋の中でもラジオを聴きながら歩く。



    スポーツジムに行ったり、ゴルフ場へ行ったり、テニスクラブに行くにはお金がかかります。僕はそのようなところへは行かない。若いときは職場のつきあいもあってゴルフにも行ったが今はそういうことにお金は使わない。



    わざわざ高い会費を払ってそういう場所で運動をしなくても、自宅周辺や公園を歩く。それも新鮮な外気を吸いながらタダ道を歩けばいいのです。それならお金がかかることもあるまい。長続きする所以である。



    東京にいるときも、あちらこちらと歩くことにしている。僕がよく行く公園は広大な都立木場公園です。早朝の公園でジョギングする人、ラジオ体操する人、太極拳する人で賑わっています。



    ここからは東京スカイツリーがよく見える。ラジオ体操も毎朝、2ヵ所でやっている。150名ほどの人が集まってくる。 公園は、葛西橋通り、仙台掘川によって、南、中、北の3地区に分けられており、木場公園大橋が各地区を連絡しています。


    更新日:2011年4月28日コメントする(0)

  • 堀江さん刑務所でゆっくり本読んで帰りたい(2011年4月27日|80歳)

    「ようやく1つのプロセスが終わった」


    昨日4月26日、堀江貴文・ライブドア元社長は記者会見で語った。最高裁は堀江被告の上告を棄却、2年6カ月の実刑が確定した。「悪い結果だし、悔しいし残念だが、人生ゲームのコマが1つ進んだ感じ」と語った。



    会見では一審、二審の判決や上告を棄却した最高裁の判断、検察制度のあり方、偏ったマスコミ報道などへこれまで通り批判の矛先を向けた。



    が、「世の中の真理は不公平、不条理なのでどうすることもできない」と諦観を感じさせる発言も多かったという。


    ライブドア事件からもう5年も経つ。すでに事件の詳細は多くの人の記憶から消えていることだろう。



    東京都内で記者会見し「無罪を主張してきたので残念だが、中(刑務所)でゆっくり本でも読んで勉強して帰り、みなさんの役に立ちたい」と感想を述べた。



    ライブドア及び堀江被告ほか同社の経営陣が問われたのは、証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載、偽計・風説の流布)の罪だった。



    更新日:2011年4月27日コメントする(0)

  • 子どもの世話にならず死にたい(2011年4月26日|80歳)

    僕は今、満79歳7ヶ月である。男性の平均年齢には達したようです。今年の桜は公園の高台に登って撮った。毎日、この公園を散歩しラジオ体操をしている。でも、来年の桜はもしかしたら見られないかも知れない。



    2011年(平成23年)3月11日14時46分ごろに三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の大地震が発生した。津波や火災で多数の死傷者がでた。僕はかねてから予測されている東海地震、東南海地震のほうが先にくるものと思っていた。



    阪神・淡路大地震は1995年(平成7年)1月17日5時46分、淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.3の平成7年兵庫県南部地震が発生した。このときは四日市の自宅でも震度4だった。



    僕が西宮に住んでいたころ神戸や大阪は大地震はないと人々は言うし安心していた。それが予想に反して東京や名古屋より先にやってきた。地震ってわからないものです。


    だから来年の桜は見られるかどうかさえ全くわからないのです。死んだら何もかもおしまいです。



    僕は恥ずかしいことですが40歳で総入れ歯になった。歯槽膿漏にかかって歯はもろくなり次から次ぎえとぬけた。歯は健康のバロメーターなんていうけれど、この歳になってもそれほど入れ歯が苦にならない。



    足は健脚のほうだと思っている。 でもつい最近、山登りをしてみて途中から他人に助けられて登る羽目になった。想像もしていなかった。あの日は体調も悪かった。でも、やはり自分では大丈夫と思っていたことが実は想定外のことになった。



    これから先も想定外のことが身辺に起こりそうだ。まさか親より先に子どもが死ぬとは考えたくないが何が起こるかもしれない。縁起でもないことが現実におこるかもわからない。東京に直下型大地震が明日来るかもわからない。



    そう思ったら盆と正月は東京の家で息子や孫とも過ごしたい。新幹線が高くつくからそうは東京に行けないが、せめて年に1回は東京の家で過ごしたい。でも子どもの世話にならずに死ぬことだ。その方法を考えておこう。







    更新日:2011年4月26日コメントする(0)

  • 孫に期待すること(2011年4月25日|80歳)

    僕は80歳になって孫の成長が一番楽しい。孫たちがこれから先、どこの高校、大学に行くのかとイロイロと考える



    こんなこと考えても仕方ない。いや、それよりも孫なんてどうでもいいと思っている姉もいた。そらそうだ。孫だからそこまで思ってみても仕方がない。



    でも僕の場合はちょっと世間の爺さん婆さんが考えているのとは違う。今、考えいる孫は四日市高校2年生になった孫。これには中学3年のときに僕が約束してしまった。



    拓っくん、お前なあ頑張ったらいい大学へ行けるかもわからん。その時はお金がいる。おじいちゃんがなんとかしてやるから頑張れよ。 そしてその孫は県立四日市高校に入った。そして成績もいい。



    あと1年半もすると大学進学に遭遇します。僕は内心、都会生活はお金がかかるから心配になってきた。彼は真面目に都会の大学進学をかんがえているようだ。



    家から通学する公立大学が一番ですがひよっとすると早稲田、慶応という私大になったらどうしょうか? その時になってからお金がないからお前、三重大学にしてくれんかといい出せないだろう。



    東京にいる孫は中高一貫の私立中学と高校生である。成績はトップクラスにいるからいい大学に入りそうだ。東京なら家から通学できるから下宿代がかからない。しかし四日市から通学できる公立では名古屋大、名古屋市立大、三重大学ぐらいです。




    東京で暮らしたいという孫をどう説得して家から通学できる名古屋か津にしろといいにくくなってきた。下宿は楽しいが又、学生時代に味わう親元を離れて生活する絶好のチャンスであるが、都会で田舎育ちが新生活をはじめることは実は大変な冒険です。一つ間違ってしまうと取り返しのつかないことにもなりかねない。



    そこまで考えるのは考えすぎというがお金がないがために思わぬ借金に苦しむこともあるし何よりも都会での誘惑が心配である。



    昔と違って今はケータイ電話が孤独、寂しさから救ってくれる。ケータイがあるから親もそう心配することなく都会に送り込むことだって出来ます。



    とりあえず、僕が元気なうちは京都だったら近いからいいと思う。うんと頑張って京大に入ればなんとかなりそうだ。一番いいのは名古屋大なら通学できるからなおいいと思う。さて孫はどう考えていることだろう。


    更新日:2011年4月25日コメントする(0)

  • あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり(2011年4月24日|80歳)

    養老孟司の「小説を読みながら考えた」という本を読んだ。なぜ、こんな本を読む気になったか?


    自動車文庫で目次をペラペラと見ていたら、諸行無情、お金の使い方、そういうもの、読書と修行、歳をとる、頭は空っぽ、世界は芝居、批評とはなにか、など書かれていた。では養老孟司はどんな方か? 先生の講演「「近頃の若者」を読んでみた。


    「近頃の若者」という題をいただきましたが、私ももう相当な年になったのでこの題がちょうどいいのではないかと思われたのではないかと思います。「今時の若い者は…」というのは一番古くは、エジプトのパピルスに書いてあるといいます。ですから紀元前の頃から年寄りは若者のことを「近頃の若い者は…」という習慣というか癖があったようです。


    自己紹介いたしますと、私は1年だけをのぞき、小学校からずっと学校におりまして卒業してからは教師になり、東京大学に57歳までおり、58歳からは北里大学におります。ですから仕事では若い方とお付き会いするというのがほとんどでございました。戦後50年を過ぎましたけれども、この半世紀で世の中が相当変わりました。



    その間に若い方もずいぶん変わってきたというのは当然でございます。私が小学校に入った時というのは戦争中でございまして、1年生の時が昭和19年でした。ちょうど東京で空襲が始まった頃です。


    その頃病院に入院したことがありましたが、ご存知のように病院の食事というのはひどいものですが、そのひどいのが戦争中でしたから一層ひどいものでした。その時代、親は食べていくことで精一杯。子供たちは青天井で、学校が終わると川へ行って魚を捕ったり、空き地で虫取りをしたりの生活でしたので、学校は大変ありがたいところでした。


    私がまず最初に「近頃の若者」と違いを感じたのは、団塊の世代でした。団塊の世代の人たち(昭和21年~25年生まれの人たちの事)は何でもみんなでやるという世代で、戦後の典型的民主主義教育を受けて育った人達です。


    私たちの世代は(私と同い年の人というと橋本龍太郎、美空ひばり、江利チエミ、雪村いずみさんなどですが)自分は自分、人は人という個人主義的世代で、自分自身で決めればよいと考える私と、団塊の世代の人達は合わなかったのです。


    昭和42年に東大で助手になり昭和52年に教授になりましたが、その間大学紛争の後始末に明け暮れたという感じでした。


    次に非常に驚かされたのがオウムの世代であります。よく宇宙人と言いますが、ある日、解剖の実習をしていましたら、ある学生が突然「先生、尊師が水の底に1時間いる実験をするので、一緒に見に行って証人になってください。」と言います。


    「何をやっているのか」と聞くと「ヨーガをやっている」と言い、良いことがあったか聞くと、「食欲や性欲がなくなった。オウムでは空中浮遊等も日常的だ。」と言う。まったく愕然としました。



    私の講義の中では「血液を5分間止めると人間の脳は回復不能である」と教えています。彼らの頭の中はどうなっているのだろうか。現在起っている世の中の事と超常現象が頭の中で同時並行に走っていて、現実の世界とそうでない世界の区別が無いのです。


    私はこのように頭の中が何重にもなっていいる学生に、私が本音で教えると学生にどのような影響を与えるのかとても理解できないし、また試験で口頭試問をしても本人が「本当は」どう思ってるのかとうてい信用できないと思いました。


    自分にはこのような学生を教えることはできないと思い、東大を辞めてしまいました。
    今は、北里大学で教えていますが、医学部ではなく一般教養なので、学生にどう聞いてもらっても良いし、学生にとって私はテレビの画面であって、学生が自分のことをやりながらチラチラとこちら(テレビ)を見て、参考になれば聞き、つまらなければ友達と話をし、丸々損にはならないというぐらいに思っています。そう思ってやっているとこちらも気が楽で、「俺はテレビだからな。」と学生に断って教えております。それが今の学生であります。


    最近になってオウムの世代の若者のことが少しずつわかってきました。その世代の若者は、「知識は全て自分の外に蓄えるものである」という風になったのであります。知というものはコンピュータや本や先生の頭の中に入っているものだ、マニュアルを見ればなんでも出来ると思っている。CD―ROMというものがありますが、コンピューターの中に蓄えられた知識を必要な時にとってくればいい。知は自分の都合で自分の外から取ってくるもの、すべての知がそうなってしまったのです。


    子育てもそうなってしまったのではないでしょうか。けれども子育ては「ああしても、こうならない」ことだらけで、甘いものを食べさせなければできない「虫歯」でさえ、外でこっそり甘いものを買って食べてしまえばダメです。今の世の中は「ああすれば、こうなる。」で動いていますが、そういう風にやってもそのつもりがないのに不景気になるし、子どももこう育てたいと思っても、思い通りにはいかないのです。


    私が東大出版会の理事長をしていた頃、「知の技法」という本が東大出版会始まって以来というぐらい売れました。その時はなぜ売れているのか分かりませんでしたが、今は分かります「知は技法になってしまった」のです。技法というのは、ノウハウということです。


    知のノウハウということ、つまりマニュアルであります。こうしたい時はどうしたらいいのかがマニュアルを見れば、理も非も無くわかるのです。



    私が育ってきたときの「知」というのは、そうではなかった。私たちの世代にとって「知識」とは、論語に「あしたに道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と書いてあることに表されるように、自分が変わるということは、それまでの自分が死ぬということなのです。


    そのことの繰り返しなのです。「知る」ということはそれくらいガラッと自分が変わることなのです。もっと具体的な説明をすれば、「癌の告知」というものがそれに近い面を持っています。


    自分が癌であるかどうかを知るということは、それまでの自分が変わってしまうということを意味する。


    今から50年位前の戦時中は二十歳前後の人でも死を覚悟していました。いまでは、年寄りでも未来の事は考えているのに自分の死のことは考えていないと思います。仏教で言う生老病死が家庭から消えてしまっています。



    現代においては9割の人が病院で生まれ、病院で死を迎えます。人間の抱えている自然が隠れてしまい、非常に多くの人が自分が死ぬとは思っていないのです。


    日本では勉強することはマニュアルを頭に入れることだと思っています。知るということが軽く扱われています。「知る」ということは恐ろしいことなのです。


    技法でない知に吸い込まれてしまった一部の人がオウムであります。近頃の若者は全てのものが頭の中で並列に並んでいます。これを読んで養老孟司先生の近頃の若者の頭の中がわかってきた。




    更新日:2011年4月24日コメントする(0)

  • 僕が自分史を作ったわけ(2011年4月23日|80歳)

    この自分史を書き出したのは2010年(平成22年)7月であった。あれから9ヶ月が過ぎた。僕が自伝を書くようになった理由は町史を作りたいと自治会長が言いだした。それなら僕の波乱にみちた人生も書いてみようという気になった。その日のうちに着手した。


    「自治会の40年史」はなかなか資料がなくて中途半端でいまだに完成していない。僕が自分史を書いたのは例外で、これまで無数の偉人先覚たちが、ただ黙って人生を生き抜き、そして、黙って死んでいった。


    功成り名を遂げた人は老耄しないうちに身退き、あとを後継者に託して散歩と読書というような生活を送りながら、最後の仕事として自分史、つまり自叙伝を書くのが、これまでは当たり前でした。


    しかし、成功した人になればなるほど、またその人徳が高ければ高いほど、おのれの成功をおのれの功に帰すべきでないと自分史、自伝を書かないものです。僕はそう考えてている。


    俺はこんなに苦労して自治会長を長年やってきた。凄いことを成し遂げたのだと言挙げし途端に、彼の名声は何割か減じざるを得ないと思う。そんなものです。


    僕の小史はただ漫然と生きてきた回想的随筆でもある。山あり谷ありの80年を僕なりに生きてきた。小史に作ることができたのも自治会長の40年町史製作意欲に刺激された。そして編集製本に加藤テーラーさんにはずいぶんとお世話になった。



    更新日:2011年4月23日コメントする(0)

  • 孫のお土産(2011年4月22日|80歳)
    alidoro

    四日市高校2年生の孫が本日、京大を見学してきたとお土産のお菓子を買って来た。


    事前に学校から見学する大学に許可を得てキャンパスなど見てくる制度である。1年生の夏、名古屋大学を見学し2年生になった今年は京大に決めたそうだ。


    京都や名古屋なら近いからいいが東大となるとこれは大変だ。なるべく名古屋に行ってほしい。名古屋にはいれたら万々歳である。

    更新日:2011年4月22日コメントする(0)

  • 本を読むってけっこういいかも(2011年4月21日|80歳)

    僕は自動車文庫でよく本を借りてくる。10冊まで借りられる。せまい車内でどうして本を探すのか?


    パットと目に入ったページから何か得るものがあるかどうかで決まる。それと著者の経歴を調べる。その場で検索できないから後書などで簡単にしらべる。香山リカの本名は、「中塚尚子」。


    今日は香山リカの「本を読むってけっこういいかも」というタイトルの本を読んだ。香山リカは精神科の医者の若い医者である。テレビでも何度かみたことがある。


    この本でちょっと読む気になった項目。150ページ、生きづらさを感じた時の読書術。145ページの「世界でもっとも阿呆な旅」。


    珍地名の場所へ旅行する。トルコの「シリフケ」、アメリカの「ナンパ」、オーストラリアの「エロマンガ」。 アルゼンチンの「マルデアホ」、オランダの「スケベニンゲン」、日本では馬鹿川、貧乏山、毛穴町など。


    そこへでかけてなんということもない。「シリフケ」などの地名が書かれたプレートの前で記念写真。看板といっしょに写真をとってあとは何もすることがない。その辺りをブラブラして帰るだけ。本当に意味のない旅なのである。





    更新日:2011年4月21日コメントする(0)

  • 朝日新聞が最も嫌がる男(2011年4月20日|80歳)
    alidoro

    きょうは勝谷誠彦の「あっぱれ!朝日新聞(笑)」を読んだ。勝谷は1960年生まれ、いつも「たかじんのそこまで言って委員会」(読売テレビ)などテレビのコメンテーターとして活躍している。


    朝日新聞が最も嫌がる男、勝谷誠彦が「朝日新聞観劇記」。2005年~2009年のことを綴っている。僕も朝日が好きで中でも天声人語が好きである。


    勝谷は。『週刊文春』などの記者を経て独立。社会時評、旅、食エッセイなど幅広くかきまくっているという感じで、あのはや口はよく聞いていないとききとれないことがある。でも、怒ってばかりでなしよく笑わすし僕はどちらかというと好きである。


    勝谷は毎朝、1時間半をかけて朝日新聞を読むらしい。僕もそれぐらい新聞は目を通す。勝谷VS朝日 遂に直接対決。後輩の記事を丸ぱくり!。朝日のモラル、「紙面からも消ゆ。「赤旗」からのステキな来賓。「平気でウソつく人間」は誰か。など面白かった。


    更新日:2011年4月20日コメントする(0)

  • 平尾昌晃さんの話を聞く(1959年5月3日|28歳)

    ラジオ深夜便、午前4時台 〔インタビュー・スペシャル〕 生涯現役(2)作曲家 平尾昌晃さんの話を聞く。聞き手は徳田アンカー。対談内容は下記のようなものだったと思う。必死に速記していた。 http://www.hirao-masaaki.co.jp/hirao_prf.html



    吉田正さんの門を叩いて吉田メロディーへ。自分が迷っている時にしばらく音楽の世界から遠ざかる。「おもいで」という僕の歌があった。北海道で一大エレキブームが起こってこの曲は平尾昌晃さんの声ですとなんと1位になった。廃盤になって盤がないので限定3万枚もだすと売れてしまった。これで僕も歌手になれると思っていたら布施明って知っていますか?彼はカントーネしか歌っていないから是非この「おもいで」を彼に歌わせたいと言う。僕は肺炎を患って2~3年は休養したほうがいいと考えていたので条件をつけてレコーディングOKして発売した。これが作曲家としてのスタートとなった。2曲目の「銀の涙」、3曲目の「霧の摩周湖」、いつのまにか梓みちよの「渚のセニョリーナ」も大ヒット。これで作曲家へ転向?いやいやまだまだ伊東ゆかりの「恋のしずく」を作らせていただく。そんなころ相当病気が悪くなっていた。咳もなるべく見せないようにしていたがコンコンやっていた。作曲ならベットの上でも出来るんじゃない?と言われた。



    最初は東京の病院だった。次から次へとお客さんが来るのでとうとう医者に怒られて湘南へ。次に長野県岡谷市の療養所へ。真冬はあの諏訪湖が凍り付いていた。そういう静養から元気になって帰ってきて病院の先生や看護士さんもやさしくしてくれた。下の世話までしてくれた。作曲も変わった。心の故郷があると思うた。昭和44年11月30日に東京に帰ってきた。でも一曲もまわってこなかった。ライブハウスでこっそり歌っていた。五木ひろし君や小柳ルミ子の二人に出会った。「よこはま・たそがれ」や「夜空」など心の故郷を作った。そして「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」などがヒットした。小柳ルミ子の格好はジーパンで声は情緒があった。そのミスマッチが面白くて和洋折衷。じゃーそういう歌にそういう歌を作ろう。リズムは洋風にしょう。楽器は和風にしようとしたら成功した。「瀬戸の花嫁」実はスチールギターです。中条きよし、五木ひろし、ほとんど洋楽器です。五木君はロック、五木君は身体で歌っている。エルビスキーですよ。「コモエスタ赤坂」も歌うでしょう。五木君は身体で歌う。「よこはま・たそがれ」など作った。



    人を育てる、おおげさだが青春に悔いを残さない。チャレンジしてみようと音楽学校を作る。チャリティー、福祉をやり始めた。何の不自由もない人が心に何かがある。テレパシーを感じる。手を握ればわかる。自分からステージに上がってくる。素晴らしい。昭和49年頃から目を向けた。ベットの上でその時、いろいろのことを考えた。5歳の子が心臓の手術に来ていた。じーとしている。その子が元気になって帰る。凄いなと思った。元気のない人を喜ばしい帰らしてやろうと思った。ゼネレーションギャップ、高校生、大学生になるとユニット。大人になると歌謡曲。演歌。日本人の贅沢さ。今は子どもからお年寄りまでという歌が少ない。



    「瀬戸の花嫁」「乾杯」は結婚式など使い捨てになった。生涯現役です。なんでもいいの!今まで忙しかったから最低2つはする。釣りや盆栽もよいが僕はボランテイアをやってほしい。お医者さんでもわからない難病がある。毎日、注射打っても一定のところまで来ない人もいる。でも凄い人がいっぱいいる。そういう人のホロウするとか何か仕事をしてほしい。新しい仕事があるはずです。自分自身のプロデュースになること。最後に小柳ルミ子の出した「やさしくして」の歌を聴いてください。心に染みるステキな曲です。


    小柳ルミ子 -「やさしくして」
    作詞:なかにし礼
    作曲:平尾昌晃


    いつの間にか 気がついたら あなたと
    ともに暮らしていたわ 不思議だわ
    傷ついた 小鳩が二羽 密やかに
    身をよせあい 慰めあう 感じかしら
    好きと言わなくても
    抱いてくれなくても
    安らぎが胸を つつむ
    恋もいらない 愛もいらない
    やさしくして やさしくして
    死ぬまで


    こんなふうに 思いがけず 最後の
    人と出逢うのでしょう 不思議だわ


    秋風に 吹かれ散った 病葉(わくらば)が
    径のすみで 重なりあう 感じかしら
    淡い闇の中で
    影と影がそっと
    よりそえば命 つづく
    涙忘れて 過去も忘れて
    やさしくして やさしくして
    死ぬまで


    好きと言わなくても
    抱いてくれなくても
    安らぎが胸を つつむ
    恋もいらない 愛もいらない
    やさしくして やさしくして
    死ぬまで


    更新日:2011年5月3日コメントする(0)